■lap83-"君の名は"/F-1マシン、コード・ネームの謎-
2004.01.09


'03年2月7日、フェラーリ・F-1チームは地元・フィオラノのファクトリーでの新車発表会にあたり、そのマシン名称を"フェラーリF2003-GA"と紹介した。前年まで"F2002"/"F2001"等とフェラーリのFの後に西暦が入るだけだった名称に"GA"が付いたその理由は、直前の1月24日に死去した、フェラーリの親会社/フィアットの名誉会長、ジョバンニ・アニエリのイニシャル、"G・A"を冠した、と言う神聖なものだったのである。長年フェラーリの経営を影で支えて来たアニエリの功績は計り知れず、このイニシャルを纏った瞬間から、"マルサン・ジーエー"は勝利を義務付けられたのである。

さて、"マルサン・ジーエー"以前は単にフェラーリのFに年号が付くだけ、と書いたが、"F2001"の前('00年)の名称は"F1-2000"であった。更にその前年('99年)は"F399"、その前('98年)は"F300"、'97年は"F310"。ついでに、'94年のマシンは"412T1"だったが前年の'93年は"F93A"、どうせだから遡ると'91年は"643"で'86年は"F186"。'80年は"126"で'70年代は"312"、そしてフェラーリ初のF-1マシンである'50年型は"375"であった。.....う〜ん、果たしてこの数字の一見不規則な変化は、いったい何を意味してるのだろう。しかもただ数字が変化しているだけで無く、前にFが付いたり付かなかったり、後にTが付いたり。ちなみにBAR(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)のマシンは"BAR001"で始まり、F-1参戦5年目の昨年型は"005"となった。実に自然である。きっと、999年目には"BAR999"となっている事だろう(.....)。が、フェラーリは違う。いやちょっと待てよ、マクラーレンの"MP4/17D"ってのは何だ?。Mはマクラーレンのような気がするが、Pは何なのだ?。それに、ここしばらくMPの後はずっと"4"だが、ここが5になったりはしないのか?。他にも、ペーター・ザウバー率いるザウバー・チームが"C22"ってのは何故なんだ?。グループCからF-1に来たからCなのか?。それとも、何か深い意味が???。

.....と言う事で、今回は一見規則的なようで実はそれぞれ深い意味のありそうな、F-1マシンの"コード・ネーム"の謎を解いて行こう。納得の数字、意外なアルファベット、そこに込められた深い意味.....。ここには、色々な発見がありそうだ。

まず、前述のフェラーリだ。'50年のF-1開催初年度から参戦し続けている歴史あるチームだけに、その名称は様々である。そして、実は近年のFシリーズのFは、フェラーリのFでは無く"フォーミュラ"のFである。フェラーリは現在他のフォーミュラ・カテゴリーのマシンを製作してはいないので、"Fシリーズ=フォーミュラ・ワン"なのである。'00年の"F1-2000"は前年のF399でチャンピオン・シップ獲得まで後一歩と迫ったフェラーリの、"2000年のF-1の制覇"と言う決意が込められた究極のネーミングであり、果たしてそれは実現された。それ以前は'96〜'97年がF310で、これは'96年にフェラーリがNAエンジン規定伝統のV12エンジンを捨て、初の"3リッター/V10エンジン"を搭載した事により、310とされた。それが'99年モデルでは399となったのである。そして'94年の"412T1"には、フェラーリの"験担ぎ"的な意味が込められていた。"4バルブV12エンジン"の412に、横置きミッションを表す"T"を付けて412Tとしたのは、同時に低迷するチームが'70年代に"312T"シリーズでF-1グランプリを席巻した事から来る、フェラーリのルカ・モンテツェモーロ社長直々のネーミングによる"夢よもう一度"的な意味が含まれていたのである。'92年のF92、'93年のF93は前述の通り、そして、'89年のフェラーリ640から'92年の643までは正常進化のように見えるが、実は'89年のみ、'86年からの"F186"シリーズの流れを組む"F189"と言う別名称があった。つまり、フェラーリの'89年のマシンには"F189"と"640"と言う、ふたつの名があった事になる。この謎は、実は選手権をF188が戦っていた'88年に、デザイナーであるジョン・バーナードが極秘裏に設計/開発していた7速セミ・オートマティック・ミッション搭載車、コード・ネーム639をエンツォ・フェラーリが実戦投入させたがり、信頼性の不安を理由にこれを拒否していたチーム上層部との確執へと発展。エンツォ没後、バーナードが639を実戦用に改良した640が'89年シーズンにデビューするが、チーム側はこのマシンを従来通り"F189"と称し、バーナードはこれを"640"と呼んだ為だったのである。結局このマシンは'89年に3勝を挙げ、その実績から名称は作者バーナードの推す"640"で一本化される事となったのである。そしてターボ時代の'81〜'84年は"126"が使用され、これは"120度V6ターボ"なので126、'85年の156は"1.5リッターV6"なので156なのである。そして、フェラーリの'66年〜'80年までの、実に15年間に渡って使用され続けて来たのが栄光の"312"シリーズであり、これはシンプルに"3リッターV12"から取られたもの。'70年に312B、横置きミッションとなった'75年に312T、そして312Tは'80年の312T5まで正常進化を遂げる。とここまで来れば、恐らくそれ以前の型式も察しが付くだろう。'66年の246は"2.4リッターV6"、'64年の158と1512はそれぞれ"1.5リッターのV8とV12エンジン"のヴァージョン違い、'61年〜の156は"1.5リッターV6"、'59年の256は"2.5リッターV6"、と言う具合である。'50年代中盤はランチアのF-1部門を買収して出走した為に型式は異なるが、フェラーリF-1の1号車となった'50年の125も、"125cc×V12"と言う意味で付けられている。こうして見れば、フェラーリが伝統的に"エンジン型式"をそのままマシン・ネーミングに応用するチームである事が解ると思う。これは、参戦当初からの"エンジンこそがレーシング・カーの命。他は単なる付加物"と言うエンツォの信念に基づいている事と、参戦以来シャシー/エンジンを全て自家製で賄うチーム、と言う、変わらぬコンセプトの表れでもあるのだ。

さて、次はマクラーレン。'64年にレーシング・ドライバーだった故ブルース・マクラーレンが自らチームを発足させ、マクラーレンのMを取って当時のグループ7(所謂CanAmカー・シリーズ)にマクラーレンM1Aをエントリーしたのが全ての始まりである。これは同年中にM1A〜M1Cまでの進化を遂げ、同時にマクラーレンはF-1用のテスト車、M2を製作、'66年にM2BでF-1グランプリにデビュー。更に映画"グラン・プリ"撮影用にM3を作り(lap25-"マールボロ・カラーからシルバー・アローへ"/知られざるマクラーレン帝国の歴史-参照)、翌'67年には1.6リッターF-2用のマシンをM4とした。M5は同年のF-1用新車として命名されたが、M6はシボレー・エンジン搭載のGTカーに使用され、'68年はF-1がM7、CanAmがM8.....と言うように、複数カテゴリーに対して、ズバリ"出来た順"に命名して行ったのである。従って、'60〜'70年代のマクラーレンのF-1名称だけを辿って行くと数字がやけに飛んでいるのが解る。その後マクラーレンは'75年のF-5000用マシン、M25を最後にF-1以外の全てのカテゴリーを活動休止し、'76年のM26以降は晴れてF-1のみの車体番号として正常に進化して行く事となる。だが、'70年に創始者であるブルースが事故で他界し、その後共同出資者であった元弁護士のテディ・メイヤーがマクラーレン・チームを率いるが、'70年代後半の空力戦争に乗り遅れて成績は低迷。メイヤーは当時チームのメイン・スポンサーを務めていたマールボロから責任を取らされる形でチームの現場から離され、新たにロン・デニス率いるレーシング・チーム、"プロジェクト4"との合併が決定、'81年からチームは"マクラーレン・インターナショナル"として再出発する事となった。これを機に、'80年のM30まで続いた"Mシリーズ"は終わりを告げ、プロジェクト4のメンバーであったバーナードのデザインによる'81年型マシンは新たに"マクラーレン・MP4"となった。そしてこれ以降MP4/2、MP4/3と進化して行く事になるのだが、実際に"MP4"の意味について、デニスの口からは一度も語られた事が無い。いや、むしろ"口を閉ざしている"と言った方が良い程である。もっともこれはデニスの得意とする"はぐらかし"以上でも以下でも無いのだろうが、一般的に"マクラーレン+プロジェクト4"でMP/4となると考えがちだが、一説にはMは合併を即したマールボロのMで、MPはマールボロ・プロジェクトでは無いか、との憶測が流れた。当然デニスは「どうだろうね」とはぐらかすばかりだったが、'96年でマールボロがマクラーレンのスポンサーを降りた事を考えれば、これはマクラーレン+プロジェクト4と考えて良さそうである。また、一説にはバーナード設計のモデルのみがMP4シリーズであるべき、と言う意見が存在したが、ゴードン・マーレイ〜ニール・オートレイ〜エイドリアン・ニューウィーと受け継がれて来たMP4シリーズは、"デニスの物"と考えるのが妥当だろう。

そして、基本的にそれ以外の現存のチームは比較的分りやすい。例えば"ウイリアムズFW25"はシンプルにチーム創始者/オーナーであるフランク・ウイリアムズのイニシャル"FW"で、'74年の実戦デビュー車、FW02からの正常進化である。同様のケースは"ジョーダンEJ13"にも言えるが、ジョーダンは'91年の参戦当初からは"ジョーダン191"とシンプルに"F-1の'91年型"として発展して来たが(ちなみに当初"ジョーダン911"を申請したが、911モデルを市販するポルシェ社からクレームが付き191となった、と言う裏話がある)、'99年の199を最後に突如チーム・オーナー、エディ・ジョーダンのイニシャルを冠したEJシリーズへと変更。しかも'00年型車をいきなり"EJ10"と、それまでの9車がさも全てEJであったかのような変更を行った。恐らく'00年になるにあたり、"ジョーダン100"となってしまうのを危惧したのでは無いか、と思われる。トヨタのTF103は"トヨタ・フォーミュラ1・'03年型"で、'01年のテスト・カーがTF101、実戦デビューの'02年車がTF102、と非常にシンプル。ルノーは大きく分けて'77年〜'85年のターボ時代が第一期、NAの現在は第二期だが、途中、エンジン・マニュファクチャラーのみとしての参戦があり、第一期参戦当初の'77年〜'78年のルノーRS01は"ルノー・スポーツ"、'80年以降の"RE"はルノー・エクィップ(フランス語で"チーム"的な意味)。エンジン・マニュファクチャラー時代はRSの名称を継承し、現在はシャシーのRシリーズは単にルノーのイニシャルで、エンジン名称はRSシリーズが継承されている。ミナルディは'85年に創始者、ジャンカルロ・ミナルディのMを取って年号を付けただけの"ミナルディM85"としてスタートしたが、'87年にジャンカルロの"憧れ"のフェラーリにあやかり、M86の改良型を"ミナルディM186"と名称変更。以後資金難からスクーデリア・イタリア、フォンドメタルらと合併しつつも名称は継承され、'98年のM198まで発展。しかし'99年、ジョーダン同様100になるのを嫌って新たに"M01"とし、翌'00年はM02。ここでミナルディはヨーロピアン航空にチームを売却、オーナーであるポール・ストッダートのイニシャルを取ったPSシリーズへと移行したのである。従って、PSシリーズは現在チームの新たな売却先を探すミナルディにとって、命の短いネーミングである、と言える。他、ジャガーのR4はチームの正式名称"ジャガー・レーシング"の"レーシング"のRが使用されており、こちらは素直にスチュワート・チームを買収した'00年のR1から数えて4年目である事が解る(前身スチュワートのSFは"スチュワート・フォード"の略)。BARは前述の通り、BAR001〜005、と言う、正直面白くも何とも無いコード・ネーム(面白い必要はもちろん無いが)である。

.....さて、どうせだから今は亡き、撤退した過去のチームの名称も探って行く事にしよう。とうにその存在すら忘れていたようなチームでも、「そう言えば当時は不思議だったなあ」と思う名称があった筈だ。

アロウズは元々、'77年にフランコ・アンプロージオ/アラン・リース/ジャッキー・オリバー/デイヴ・ウォス/トニー・サウスゲートの5人の創始者のイニシャルを取って"ARROWS"となったのは有名な話だが、彼等は当時所属していたシャドウ・チームを離れ、シャドウの図面を元に製作したマシンを"FA1"(アロウズ・フォーミュラ・1号車)として発表、しかしシャドウからのクレームで同シーズン中に新たにマシンを設計/製作し直し、今度はA1と命名した。'91年のA12Cを最後に、日本のフットワークに買収されて"フットワーク・アロウズ"を意味する"FA13"で奇しくも1号車と同じ"FA"を命名する事となり、その後フットワークの撤退で'97年にチーム名がアロウズへと戻り、'98年からはAシリーズへと戻った。が、数字はFA18〜A19と、正常進化のままであった。'02年、A23を最後に撤退する。

'01年、アラン・プロスト率いるプロストのコード・ネームはAP04。"AP"はまんま、アラン・プロストのイニシャルだが、チームの前身となったリジェが纏っていたJSシリーズは当時のオーナー、ギ・リジェの大親友、故ジョー・シュレッサーのイニシャルであった。'68年にホンダの空冷エンジン車、RA302でクラッシュ/死亡したシュレッサーはリジェとフランスで共同でフォード・フランスのディーラーをしていた仲であった。そしてリジェが'76年に自ら結成したF-1チームのマシン名にシュレッサーのイニシャル"JS"を付け、以後プロストに買収された初年度の'97年のJS45まで続いたのである。ちなみに、21年で45まで進んだ数字の謎は、参戦当初の'70年代からJS5〜JS7〜JS11〜JS17、等と番号が飛んでいる為で、実は奇数ばかりが選ばれていた故である。

'70年にそれまで使用していたマトラに代わり、オリジナル・シャシー"001"を投入したティレル。'75年に007まで進化すると、翌'76年に突如として"P34"と言う、全く関係の無いマシン名を発表した。そして、そのP34の正体は何と前4輪/後2輪のタイヤを持つ、"6輪F-1"だったのである。設計者のデレック・ガードナーは、この奇抜なアイデアを他チームに漏れないよう"プロジェクト34"と言う名でスタートさせ、マシンもチームのファクトリーでは無く自宅で組み上げる、と言う念の入れようであった。しかし結局2年で6輪車プロジェクトは終了し、'78年は再び008と言う名で"普通の"4輪車を製作。その後結局チームがBARに買収される'98年のティレル026まで、他の名称は使用されなかった。"34"とは、ガードナーがオーナーのケン・ティレルにアイデアを伝え、プロジェクトが実質的にスタートした'73年の"3"と、前4輪計画の"4"だ、と言われている。

前述の通り、チーム名の頭文字と年号等がマシン開発コード・ネームに使われる事が統計的に最も多く、ベネトン(B186〜B201)やシムテック(S194〜S195)等は典型例である。更に、チームの正式名称が個人名だけで終わっていないチームでは、パシフィック(PR01〜02)の"パシフィック・レーシング"のPR、ユーロ・ブルン(ER188〜189)の"ユーロ・ブルン・レーシング"のER、と言ったパターンが多い。また、トールマンのTGは"トールマン・グランプリ"、ウルフのWRは"ウルフ・レーシング"に、共に開発番号を付けたパターンである。次がチーム・オーナーや創始者の名前で、ウイリアムズやジョーダン、ミナルディ同様、オーナーの名を知っていれば解決出来るものも多い。フランスのAGS(オートモビルズ・ゴンファロン・スポーティヴ)・チームのJH21〜JH27は、オーナーのアンリ・ジュリアン(Henli Julian)のイニシャル(逆)で、数字はF-3〜F-2(F-3000)とステップアップし、F-1参戦した'86年が21、となったもの。同様にシャドウの"DN"はオーナーのドン・ニコルズのイニシャル、エンサインの"N"もオーナーであるモーリス・ナンのN。また、"複合ワザ"となっていて一見分かりにくいものに、"共同オーナーとのふたり分のイニシャル"と言うケースがある。ブラバム (BT3〜60)はジャック・ブラバムのBとロン・トーラナックのTで"BT"、ラルース(LC87〜93)はジェラール・ラルースのLとディディエ・カルメルのCで"LC"となり、共に"相方"は途中離脱しているにも関わらず、最後(チーム撤退)まで使い続けた例だ。

他に、「そりゃあわかんないって」ってモノもある。リジェJSのジョー・シュレッサー同様、レイトン・ハウス/マーチの"CG"シリーズは、当時のエース・ドライバー、イヴァン・カペリの育ての親である元チーム・マネージャー、故チェザーレ・ギャリボルディのイニシャル。オゼッラの"FA1ME"は、'80年のFA1(フォーミュラのF/オートモビルのA/F-1の1)から、後に数字では無くアルファベットを付けて進化させて行き、FA1B〜C〜D.....と続いて、'90年にFA1Nまで進化、この年イタリアのフォンドメタル社にチームを売却する事が決定していた為、最後に記念にチーム創始者のエンツォ・オゼッラのEを加えた、と言うものであった。極め付けに不可解だったのがスイスのモンテヴェルディ・オニクス(ORE1)、これはオニクスのO+ヴォン・ロゼマ(メイン・スポンサー名)のR+マイク・オール(チーム代表)のEで"ORE".....正直、筆者も今初めて知った。

ネーミングと言えば、フェラーリやルノーに代表されるように当然エンジン型式にも様々な意味がある。あまりにも数が膨大な為にエンジン・メーカー全てを挙げるのはまたの機会とするが、参考までに我等が日本のホンダを紹介しておこう。

'63年、当初ロータスとのジョイントでエンジン供給と言うスタンスを取る予定だった第一期ホンダF-1チーム(lap69-"名車誕生の舞台裏vol.6"/ホンダRA271&272-参照)、1号機となったエンジンは"RA270E"。RAはレーシング・オートモビル、270は「最高速は多分270km/hくらいだろう」と言う意味であった。結果的にシャシーも製作する事になってからはエンジンを意味する"E"が外され、RA271は1号車、272は2号車、となった。だが'67年のRA273の後、ローラと共同で製作した新車は"RA300"と名付けられた。これについて当時の中村良夫監督は「う〜ん、何か思いきって"飛躍"させたかったんだよね」と、300の意味を語った。そして'83年、第二期最初のエンジンは"RA163E"。今度の数字は"F-1の1+V6ターボの6+'83年の3"。そして第一期のシャシー製造時代と区別する為、再び"E"が付けられた。従って、NA初年度の'89年に"RA109E"となったのは"F-1+V10+'89年"と言う意味で、同様にV12となった'91年のマクラーレン用は"RA121E"、同年ティレルに供給したV10は"RA101E"となった訳である。そして有名な話として、'91年、中嶋悟引退の年のホンダV10のコード・ネーム、"RA101E/SN"がある。当然"SN"は"サトル・ナカジマ"のイニシャルで、日本/ホンダのF-1に於ける"立役者"たる中嶋のラスト・ランに対する、ホンダ・スタッフの思い入れが顕著に表れていた。

.....フェラーリF2003-GAは故アニエリの名を冠した事により、勝利を、Wタイトル獲得を義務付けられた。そして、彼等はそれをやってのけた。シーズン中に何度も危機に直面しながらも、イタリアの象徴は諦める事無く、その歴史に"マルサン・ジーエー"の名を刻んだのである。.....おっといけない、忘れる所だった。最後に、冒頭で触れた最後の謎、ザウバーの"C"シリーズの秘密について書き記しておこう。



「Cの意味?、それは私の妻、クリスチャンのイニシャルなんだ
-'93年/ペーター・ザウバー-


■"no race, no life" top