■lap50-"バーニーって誰だ!?"/F-1界の首領、バーニー・エクレストンの謎に迫る-
2003.05.23


FOCA会長、FIA副会長、FOPA代表、SLEC(前FOH)代表、その他関連会社多数。資産総額32億ポンド(約6200億円)で'01年度・英国長者番付第1位(ちなみにポール・マッカートニー11億ポンド/"ハリー・ポッター"原作者J・K・ローリング1億6千万ポンド)。.....何だか良く解らないが、とにかく肩書きがたくさんあって、そして想像を遥かに超える大金持ちなんだろう、って事位は読み取れるだろうか。例えるならIOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ名誉会長とか、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長とか.....。こう言った"会長職"に付くような方々には、少なからず金銭的なスキャンダルや悪噂と言うのがつきものである。それも、各カテゴリーで時代を一変させる程の革命的なアイデアを幾つも実戦して来たからこそ現在がある、と言うキャリアの持ち主であるからして、ある意味当然の事なのかも知れない。そして、彼についての金銭的に不透明な部分は常にニュースとなり、経済誌や新聞(一般紙)でも彼の名は頻繁に見る事が出来る。

.....冒頭の紹介文の主は、バーニー・エクレストン。彼こそF-1界の首領(ドン)である。そして、彼について語られている本やウェブサイトは極端に少ない。その多くは謎に包まれたままなのである。従って、筆者が此処に書き記す事柄は、あくまでも"限られた情報からの抜粋"である。バーニーの全てを知る事等、恐らく誰にも不可能だろう。それはきっと彼の会計士や弁護士でも、だ。

バーニー・エクレストン、本名バーナード・エクレストンは'30年10月28日、イギリス/サフォークにてトロール船の船長だった父の家に誕生。学生時代はオートバイに熱中していた。16歳で学校を卒業するとガス会社に就職し、同時に中古オートバイを売買する会社を片手間に始め、友人のフレッド・コンプトンと共同で始めた会社はあれよあれよと言う間にイギリス国内でもトップ・レヴェルのオートバイ・ディーラーとなり、早くもビジネス手腕に長けている所を発揮する。'49年から自らクーパーのF-3マシンを駆ってレースに参戦するが、ブランズハッチでのレースで事故に遭い、一旦レーサーでは無くマネージメント業へと転身する事を決意。'57年、ウェルシュ・レーシングのルイス・エヴァンスのマネージャーとしてレース界へと復帰。'58年第2戦モナコ・グランプリに、自らのプライヴェート・チーム"BCエクレストン・アルタ"からコンノートを駆ってF-1デビュー、結果は予選最下位で予選落ち。第7戦イギリス・グランプリでは予選を突破するが、自らジャック・フェアマンにシートを譲ってしまう。更に'58年、モロッコ・グランプリでエヴァンスが事故死し、レーシング・カーをドライヴする事への情熱を失った自分のすべき事は、ドライバー自身の権利や安全を保証する事を初め、今だ"棺桶に片足を突っ込んだ"レーシング・ドライバー達のビジネス・マネージメントである、と悟る(バーニーがF-1ドライバーであった事実を知る人も少ないのでは無いだろうか)。結局バーニー自身がレースに出場する事は2度と無かった。

'68年、バーニーはF-1/F-2で活躍するヨッヘン・リントのマネージャーとなり、同時にロータスF-2チームの運営をも任されるに至った。チームはリントとグラハム・ヒルの2大スターが大活躍したが、'70年のF-1イタリア・グランプリでリントが事故死。同時にリントのワールド・チャンピオンが決定する、と言う結末となる。失意のバーニーはまたもレースへの情熱を失いかけるが、'72年にロン・トーラナックからブラバム・チームの買収のオファーがあり、バーニーはチームを購入。'74年にはカルロス・ロイテマンが3勝を挙げる活躍を見せる。同時にバーニーはマックス・モズレー(マーチ)、コーリン・チャップマン(ロータス)、テディ・メイヤー(マクラーレン)、ケン・ティレル(ティレル)、フランク・ウィリアムズ(ウィリアムズ)ら各チーム・オーナー達と共にFOCA(Formura One Constructors Association)を結成。これはF-1史上初めての、参加チームによる言わば"労働組合"の誕生であった。FOCAは'75年にFISA(世界自動車競技連名/後のFIA)とチームのレースへのエントリー・フィーで、'76年はテレビ放映権等で論議を行い、F-1グランプリに於ける報酬制度に革命を齎す事に成功する。'78年にバーニーはFOCA会長に就任し、モズレーらと共にFISA会長、ジャン・マリー・バレストルと対立、'81年にはそれまでFISAによる一方的だった規則変更等を、あくまでも参加チームとの話し合い/合意の元で行う、所謂"コンコルド協定"を定める事に成功する。また、'81、'83年にはネルソン・ピケがブラバムでワールド・チャンピオンを獲得。その後'87年にバーニーはブラバム・チームをスイスのヨアヒム・ルーチへと売却、自らはFIA副会長となり、その後天敵・バレストルに代わって会長に就任したモズレーと共に、バーニーは近代F-1の全ての実権を握る事となる。

解り易く説明するならば、バーニーはF-1を"商業化"する事に成功した人物、と形容する事が出来るだろう。まず第一に、F-1グランプリのTV放映権に関しての功績が挙げられる。既に御承知の通り、F-1グランプリに於けるコマーシャリズムには、マシンに描かれるスポンサー/メーカー達のロゴの露出度に大きな効果が存在する。だが、'68年にロータスがゴールド・リーフ・カラーを纏って登場して以来、欧州各国を転戦するF-1グランプリのTV中継には毎戦大きな差が生じていた。それもそのはず、各TV局とも地元出身ドライバーやチーム、または番組スポンサー関連のチームをメインに放送し、ともすれば実際のレース内容/結果からは程遠い映像が放送されたり、意図的にライバル・チーム/企業の映像が少なかったり、と言う事態を引き起こしていたのである。更に、年間16戦程度の中継が全く統率されていない事から、前戦で優勝したドライバー、所謂ディフェンディング・チャンピオンが次戦には全く登場しなかったり、と言うように、偶然TVを見て興味を持った視聴者に対し、反対に興味を損ねる事すらあり得たのである。そこでバーニーは'82年にEBU(欧州放送連盟)と契約、それまで個別に中継を行って来たスタイルを"一括化"し、更にFOCA全グランプリの独占放映権を獲得した。これにより、バーニーはTV放映収入の内、およそ半分の47%を参加全チームへ振り分け、30%をFIA(Federation International Automobile)に、残りの23%をFOPA(Formura One Promotions & Administration)へと分配するシステムを作った。これにより、全世界の何処でも、シーズンを通してF-1グランプリが"公平に"観られるようになり、更に各スポンサー/チームにも利益を齎すシステムが完成した。これに伴い、かつてはそれぞれの開催国/サーキットが独自に行って来たサーキット管理や安全対策をもFIA/FOCA監修の元に行われるようになった。ことに事故を起こしたドライバーや観客席の安全性は飛躍的に高くなり、F-1はひとつの"ショー"として確立されるに至った。それこそ、コースの外側は草ボウボウで、一旦コース・アウトすれば観客を多数巻き込む事になる危険のあったコースを改修させ、観客との適切な距離とラン・オフ・エリアの設置で死亡事故を激減させたのである。当然、誰もクラッシュによって死者が出る場面を全世界に放送したく等無かったのだし、F-1を子供達に夢を与えるものに育てる事にも成功した、と言えるだろう。

その反面、TV放映料に関してバーニーに対しての不信感を露にするメディアも登場する。何故なら、前述の通り、チームに分配される47%以外のFIA、FOPAの取り分が、殆どバーニーに流れているのでは無いか、との疑惑が持ち上がったのである。'87年、本来営利団体では無いFIAは30%のTV放映権取り分をAPM(Allsopp Parker & Marsh)と言う団体へ権利ごと譲ってしまう。一部のメディアによれば、このAPMと言う団体にはバーニーが絡んでいる、と言うのだ。つまり、参戦する全チームへ分配される47%以外の53%の殆どをバーニーが総取りしているのではないか、と言う憶測だ。当然、バーニーはこの噂について完全否定している。

更にここ数年、TV放映に関しては更に事態が深刻になっている。事の発端は'95年、バーニーが新たに設立したFOM(Formura One Management)を使い、FIAが持つF-1の権利そのものを購入、それまでAPMが持っていた取り分は直接FOMのものとなった。'98年にコンコルド協定によって締結され、チームは従来通りTV放映収入の47%を、FOMは興行主からの収入の全てを受け取る事となった。が、これにはロン・デニス(マクラーレン)、フランク・ウイリアムズ、ケン・ティレルらが反発、欧州審議会からは"独占禁止法違反"の疑いがかけられた。その後、バーニーは新たに"SLEC"と言う会社を設立(SLECに関しては後に触れる事とする)、最終的にSLECの持ち株の75%をドイツのEMTVとメディア王、キルヒ・グループへと売却。キルヒは欧州のサッカー中継等の独占放送権等で財を成し、昨年のW杯サッカーでも名前が取沙汰されていたので御存じの方も多いと思うが、これによって一旦F-1の商業権はキルヒのものとなったのである。

バーニーが狙っていたのはF-1中継に於ける"デジタル放送"であった。サーキットの全てのカメラ・アングルに於いて最高の位置をキープし、全車両の車載カメラを実現、スタッフもレース中継の選りすぐりをヘッド・ハンティングした彼等のデジタル放送は確実に地上波の無料放送より高い水準を持ち(数年前から地上波放送のオン・ボード映像が激減していたのはこの為だ)、「ファンは高い金を払ってでも良い方を見るだろう」と言う発想の元にフランス/ドイツ/イギリス/イタリア(日本では見る事は出来ない)で実施されたが、世界的な不況も手伝い、結局デジタル放送は普及しなかったのである(かく言う筆者も、レース中継の為だけに衛星放送に加入しているひとりではあるのだが)。結局100億円と言う巨額を投資したデジタル放送は'02年で打ち切る事となるが、更に深刻だったのは、現在F-1を司る団体がほぼバーニーの会社であるのに対し、フィアット/ダイムラー・クライスラー/フォード/BMW/ルノーの5社が加盟するACEA(欧州自動車工業連盟)が、F-1に代わる新たなレース・カテゴリーを開催する事を前提にGPWC(グランプリ・ワールド・チャンピオンシップ)を発足。'01年にはGPWCホールディングスをオランダに設立し、「このままキルヒによる多額の放映料独占が続くのであれば、我々は独自のチャンピオン・シップを立ち上げる」と宣言したのである。彼等の主張はいたってシンプルである。「F-1はペイ・バー・ビューによる、一部の裕福な人達の為だけに存在してはならない。いつでもどこでも、TVをつければ無料でレースが見られる。その為に我々は長年努力して来たのでは無かったか」完全なる正論であった。そしてGPWCは定期的な会合を持ち、各社のトップが出席して新シリーズを模索し始める事になる。

簡単に言えばこうだ。「フェラーリ/マクラーレン・メルセデス/ジャガー/ウイリアムズ・BMW/ルノーは、"F-1"を出て行く。そして、我々は我々でレースをする。バーニーとは関係無い所で、だ」となる。更に、GPWCはホンダ/トヨタへも加盟を勧めており、もしこれが実現すればF-1は事実上消滅する事になるのである(少なくとも'03年のエンジン・サプライヤーは、全て新シリーズへと移行する事となる)。当然、これはACEAによるFIAへの"揺さぶり"ではあるのだが、彼等は定期的に会合を開き、決してブラフでは無い事をキルヒ及びSLECへと主張し続けて来た。丁度、20年前にコンコルド協定を巡ってFISAとFOCAが対立した当時のように、チームはまたしても興行団体と対立、と言う状況となってしまったのである。しかも当時はバーニーが両者の仲を取り持つ形だったのが、今回はチームがバーニーを敵に回してしまっており、長く続いて来たバーニー時代にも陰りが見え始めていた。

だが、'02年4月、キルヒ・グループが65億ユーロ(約7500億円)の負債を背負い、破産。ドイツの戦後最大規模の破綻、と言う結末を迎える。FIAとSLECはF-1放映権を2110年まで持っており(つまり、今後100年間だ)、結局"キルヒによるF-1の独占化"と言う事態は避ける事となった。しかし、この負債分を今後どうバーニーが回収するのか。GPWCは「早ければ'08年にも新シリーズを開催する」とし、最近では4月10日にドイツのミュンヘンで会合を持ち、「新シリーズでは参戦チームに全収入の大半を引き渡し、現在のF-1より公平な分配を実現する」との結論を発表した。マクラーレンのロン・デニスは「時間をかけて綿密に改善された案」とコメントし、ルノーのパトリック・フォールは「我々(GPWC)は、バーニーがCEOになる事自体に意義は無い。問題は、その在り方だ」と言う興味深い発言をしている。これを受け、バーニーは"最低2015年までの参戦"を条件にF-1の権利を銀行から10億ポンド(約2000億円)で買い取る計画を発表。しかしGPWCはこの"妥協案"に消極的で、フェラーリのルカ・モンテツェモーロ社長は「コンコルド協定が切れる'08年以降への繋ぎ案だろう。我々に銀行は必要無いし、第一その時点で我々はもうF-1にいない」と、非常に強気なコメントを返している。

ここまでを振り返り、バーニーが素晴らしいアイデアと行動力でF-1を大衆のものにして来た功績と、いつの日も更なる進化を求めてやや強引な手段で改革を進めて来た人物である事はお解り頂けたと思う。各チームにとって問題なのは金銭的な分配方式であり、公平さえ維持出来るのであればバーニー以上にF-1を運営出来る人物等いない、と言う事を皆知っているのである(丁度ここ数年、CARTがCEOの件で揺れているのが良い例だ)。そして、その"不公平さ"を印象付ける事となった原因のひとつに、FOMに代わってグランプリの興行収入を独占したSLECの発足がある。実は、SLECは"スラビカ・エクレストン・コーポレーション"の略で、スラビカとはバーニーが愛して止まない、彼の妻の名なのである。つまり、F-1の興行収入はF-1団体では無く、"エクレストン一族"に流れている、との見解が事態を悪化させたのである。バーニーは殊の外愛妻家で、英国王室/女王陛下からの招待を受けた際、クロアチア出身の妻、スラビカの出席が認められなかった事について「今私は女王陛下よりも若く、美しい妻と一緒にいる」と発言し、この招待を断ったと言うエピソードがある。そしてSLECの株式も、ほぼ全てがスラビカの名義となっていると言われる。

F-1の安全性と娯楽性、更に発展に貢献して来たバーニーも、現在72歳。当然通常なら後継者が誰になるのかを考える時期であるが、FIA理事のマルコ・ピッチニーニ、ルノーF-1チーム監督のフラビオ・ブリアトーレらが噂されているが、当のバーニーはまだまだ引退を現実のものとして考えてはいないようだ。「もし会計士や弁護士がF-1を仕切るようになったら、F-1は悲惨な結末を迎える事になるだろう。もっとも、スラビカが仕切る事になったらもっと悲惨な事になるだろうが(笑)」バーニー自身は、現在もF-1のファン/TV視聴者を増やす為の努力を怠ってはいない。今年からの新レギュレーションがその良い例だ。予選を各自1アタックとする事で全車に均等にTV放映のチャンスを与えたり、使用エンジン数の制限を設けて開発コストを下げさせる案や、EUのタバコ広告禁止を受けてアジアでの開催を増やすのも、全てF-1の人気をアップさせる為である事は疑いようが無い。更に、CARTを"F-1へのステップ・アップ・カテゴリー化"する計画等も進行している最中だ。常識を超えた発想でF-1の為に尽くしている男、そして、世界でもっともF-1を愛して止まない男。それがバーニー・エクレストンなのである。


「今、ミッキーマウスと話し合っている。いずれ報告出来るだろう」
-'99年、ディズニー・グランプリの可能性について聞かれて/バーニー・エクレストン-


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