| '97年にルノーがF-1を一時撤退した際、同じフランスのメカ・クローム社にルノー・RSシリーズ・エンジンのモディファイを依託し、F-1エンジンの研究を続けていた。そして'01年にルノー社内の"レース狂"達からのF-1復帰案/ファンのラヴ・コールを受け、エンジン・サプライヤーとしてF-1へと復帰、更に'02年にはベネトン・チームを買収し、僅か4年の休止期間でルノー・ワークスとしてF-1グランプリに完全復帰した。その際、ルノー上層部からは「他のメーカーに無い、革新的な技術を投与する事をF-1活動復帰の条件とする」との通告があった。何しろ、'92年から'97年までの6年間で5度のコンストラクターズ・タイトルを獲得し、ナイジェル・マンセル('92年)、アラン・プロスト('93年)、ミハエル・シューマッハー('95年)、デイモン・ヒル('96年)、ジャック・ビルヌーヴ('97年)らをワールド・チャンピオンにした最強エンジン、世間では「勝って当たり前」のイメージとなり、逆に負けた事がニュースになってしまうような状況をルノーが危惧しての一時撤退だっただけに、"ルノーはココが他と違う"と言う、技術分野での突出が無ければ膨大な費用のかかるF-1参戦には意味が無い、とするのも頷ける。そこでルノー・スポーツが打ち出したアイデアが、低重心を狙ったV角111度エンジンであった。従来の90度に比べて全高も低くなったRSシリーズは開発当初信頼性不足に悩まされ、周囲からは「111度と言う発想そのものが失敗」と揶揄されていた。だがようやく今年、高い信頼性と大幅なパワー・アップを武器に、トップ・ランナーの仲間入りを果たしつつある。だが、この"誰もやった事の無い革新的なアイデア"を現実に成功へと導くのは容易では無い。かつて、いくつもの"斬新なアイデア"が現れては消えて行った。そう言った意味では、ルノーの111度エンジンはその存在意義だけを取って見ても、賞賛に値する物なのである。 近代F-1の常識となっているハイ・ノーズは、'90年のティレル019でジャン・クロード・ミジョー/ハーヴェイ・ポストレスウェイトによってグランプリにデビュー。それまでフロント・ノーズ/フロント・ウィングは地面に向かって伸びているのが当たり前だった所へ、ボディ下面への整流効果をより大きくする為に生まれた、極めて"冒険的な"アイデアだった。ティレル019は快走し、数年後にはインディ/F-3000ら殆どのオープン・フォーミュラ・カーがハイ・ノーズとなった。ベンチュリー効果に目を付けたコーリン・チャップマンは'78年、ロータス79で完全なる"グランド・エフェクト・カー"を完成、翌年の他チームのマシンがことごとく"ロータスのコピー"と言われる程のスタンダードとなった。また、'62年のロータス25に於けるモノコック方式のシャシー構造もチャップマンが起こした革命のひとつである。'50年代後半にコヴェントリー・クライマックスがF-1にミッドシップ・エンジンを持ち込んで"ミッドシップ革命"を起こし、'61年にはそれまでスタンダードだったフロント・エンジン車を絶滅に追い込んだ。 .....そんな偉大なる"大発明"の裏で、幾つもの失敗作が生み出されていたのも事実である。移り変わりの早いモーター・レーシング/F-1グランプリに於いて、偉大なる発明家達に憧れて革新的なアイデアを出すも実用性に乏しく即時撤退となる者、または偉大な発明品を持ちながらもその裏に幾多の失敗作を持つ者.....だが、そのアイデア全てが、本来希望に満ちあふれたものだった事も事実である。今回は、そんな偉大なる"失敗作"達を幾つか紹介して行こう。 '50年に始まったF-1世界選手権シリーズに於いて、最初の大胆な失敗作はBRM製・V16エンジンの登場であろう。BRM(British Racing Motors)は、当時アルファロメオやフェラーリ等のイタリア勢が圧倒的な強さを誇る中、低迷する英国勢の切り札として急遽V型16気筒エンジンを製作。高回転/ハイ・パワーを売りに、'50年の地元イギリス・グランプリにレイモン・ゾンマー車1台だけをどうにか間に合わせた。ところが、肝心のマシンはミッション・トラブルで全く走る事が出来ず、かのスターリング・モスに「コイツのミッションは6速ではなく、16段程度が必要」と言わせてしまう。結局'51年いっぱいまでエントリーしたBRM・V16は、'51年イギリス・グランプリのゾンマーの5位が最高位であった。BRMは'52年からF-1活動を休止し、'56年に再び参戦する。 ところが、'51年のV16から15年後の'66年にBRMはまたも16気筒エンジン、P83を製作する。しかし今度はV型では無く、なんとV8を2台くっつけたH型レイアウトであった。何故なら、'66年からレギュレーションが1.5リッターから3リッターへと変更されるのを受け、彼等の成功作となった1.5リッターV8を2基くっつけたエンジンを製作する、と言う"安易な"手段に出たのである。だがこれも大きく/重く/しかも信頼性も低いものであり、'67年にH16プロジェクトが終了するまでに1勝しかする事が出来なかった。その1勝も、'66年第8戦アメリカ・グランプリでロータス49に乗るジム・クラークが挙げた勝利であり、搭載車が最強のロータス49だった事、ドライバーが名手クラークだったが故の勝利と言われた。そしてこれ以降、F-1に12気筒以上の多気筒エンジンが出現する事は無かった。BRMの16気筒へのこだわり/チャレンジは賞賛に値するものの、以後誰も手を出さなかったのはそのアイデア自体が失敗だった事を雄弁に物語っている。 グランド・エフェクト・カー、カーボン・モノコック等、幾つもの素晴らしいアイデアをモーター・レーシングに送り込んで来たコーリン・チャップマンにも、当然失敗作はあった。'60年代に幾多の神話を残すロータスだが、'69年のロータス63は実験的過ぎて、戦闘力を発揮するには至らなかった。ロータス63は、なんと4輪駆動車だったのである。もっとも、当時はマトラも4輪駆動に挑戦しており、関係者は「誰が4輪駆動をモノにするか」に注目していた。だが、'69年スペイン・グランプリでは予選でロータスとマトラよりも遅いマシンは無く、結局両陣営共'69年いっぱいで4輪駆動車の開発をストップしている。その後'90年代に入り、ベネトンやフェラーリが4輪操舵システム(4WS)を研究するが、'93年の"ハイテク禁止令"で開発は終了。当時のチャップマンは他にも、'68年のインディで活躍したガス・タービン・エンジンをF-1に持ち込んで'70年のロータス56Bにこのエンジンを搭載するが、入賞ゼロ。モーター・レーシングを代表する天才にも、こうした失敗作はあったのである。 "アイデアの過渡期"と言われた'60年代、我等が日本のホンダにも決定的な失敗作がある。'68年のホンダRA302である。それまでのレーシング・エンジンの常識であったラジエーターによる水冷では無く、空冷によるV8エンジンの製作だった('62年にポルシェが"ファン付き"の空冷エンジンを1勝させている)。F-1に於けるホンダは、元々オートバイ・メーカーだった経験を活かし、マン島TTレースで勝った125ccのバイク用の単気筒エンジンを12本熱め、1.5リッターに対応させたV12エンジンを横置きにマウントする、等の独自の手法で成功していた。しかし、次に本田宗一郎が推し進めた空冷エンジンは「オートバイじゃないんだから、450馬力のF-1エンジンが空気抵抗だけで冷えるワケが無い」と言う中村良夫監督ら現場のスタッフの大反対を押し切って投入された。結果は、デビュー戦の'68年フランス・グランプリでたったの2周でジョー・シュレッサーの命を奪う大クラッシュを起こし、ホンダのF-1撤退決定へと繋がる悲惨なものであった。その頃はまだ、良い意味でも悪い意味でも、宗一郎は2輪の発想から抜け切れていなかったのである。 近代F-1最強のフェラーリにも失敗作はある。最初の失敗は'62年のフェラーリ156/改。前年"シャーク・ノーズ"こと名車156でフィル・ヒルが圧倒的な速さでタイトルを獲得、選手権2位もウォルフガング・フォン・トリップスが取り(ただし最終戦で事故死)、無敵の強さを発揮するも、デザイナーのカルロ・キティら主要メンバーが一斉に離脱、新たにATS(Automobi Turismo e Sport)チームを結成する、と言う内紛が起こる(フェラーリ流には"お家騒動"と言うべきか)。結局残ったメンバー達がモディファイした156/改は全く戦闘力を持たず、'62年シーズンを未勝利で終え、'63年にデザイナーのマウロ・フォルギエリがチームに加入するまで苦戦を強いられた。'80年の312T5も同じような例で、前年の312T4がジョディ・シェクターにドライバーズ・タイトルを齎す傑作だったのに対し、翌年のT5は予選落ち1回を含むたったの8ポイント、と言う結果。これはライバル達が完全なるグランド・エフェクト・カーを熟成させている間、ひたすらエンジン・パワーの追求だけを目指したツケだったのである。'89年にはジョン・バーナードがF-1初のセミ・オートマチック・ギア・ボックス搭載の640を設計、'90年には改良型の641/2でタイトルまで後1歩の所まで行くが、翌'91年の642はライバル・チームのセミ・オートマ熟成が進んで惨敗。更に翌'92年のF92Aは画期的な"ダブル・アンダートレイ"構造を採用するが、全く性能を発揮する事無く1年で消滅。以来フェラーリは"斬新なアイデア"を採用しなくなって行く。 '72年のマーチ721Xは様々な試行錯誤を繰り返した結果、後戻りの出来ないドン底まで落ち、見るも無惨な姿となった。マーチのワークス・チームは若手No.1のロニー・ピーターソン/ニキ・ラウダを擁してエントリー、レーシング・カー設計以前はコンコルド機の設計メンバーと言う経歴を持つデザイナー、ロビン・ハードが前作711を上回る戦闘力を目指して開発。・操縦性を向上させる為に重量計算〜・ショート・ホイール・ベース化〜・マシン前部の整流の為フロント・ウイングの小型化〜・それに伴い、バランスを取る為リア・ウイングの小型化/重心下げ〜・その結果、上部に突出するエンジンに大きめのカウリングを配置〜・後方が見えづらくなった為に、バック・ミラーの高さ変更〜・ドライバー位置の変更.....出来上がったマシンは、およそグロテスクなシロモノで、前後のウイング等、もはや何の効果も齎さないとしか思えないものだった。当然、ワークス仕様でありながらプライヴェート・チームの旧作マーチ711にも劣るマシンだった。ハードは結局シーズン中に、なんとF-2用のマシンを改造して急遽721Xの代わりに投入している。お見せ出来ないのが残念な位だが.....そう、"チョロQ"を想像して貰うと丁度良いだろうか。 奇才ゴードン・マーレイのデザインしたブラバムBT55・BMW。"フラット・フィッシュ・カー(ヒラメ)"と呼ばれる所以は、その異常なまでの車高の低さにあった(口の悪い者は"スリッパ"とも呼んでいた)。本来、リア・ウイングはマシン全体の気流に影響されない高さにあるのが望ましい、だが、'68年のフェラーリ312に初めて搭載されたリア・ウイングは、その後各チームがコピーし流行、しかし一部はあまりにも高いステーを設け、結果的に剛性不足や接触による危険な事故が多発。故に'69年モナコ・グランプリ以降、ハイ・ウイングは禁止されていた。それから17年後の'86年、マーレイは「ウイングを高く出来ないなら、マシンを下げれば良い」と、最高100cmと定められたリア・ウイングに対し、ボディそのものを66cmにまで下げる作戦に出た。結果出来上がったBT55はヒラメやスリッパと呼ばれる程、車高の低いマシンとなった。ダウンフォースは前作BT54比30%増を達成、ストレートでは信じられないような加速を見せた。だが、問題は地面ギリギリに置かれたBMWエンジンであった。72度の傾度であまりにも低くレイアウトされた直列4気筒ターボ・エンジンは常にトラブルを起こし、遂にはエリオ・デ・アンジェリスの事故をも引き起こしてしまう(lap16-"勇者達の肖像vol.3"/エリオ・デ・アンジェリス-参照)。結局この年は2度の6位が最高、と言う成績しか挙げられず、マーレイはブラバムを離脱。'88年に同一コンセプトによるマクラーレンMP4/4を設計し、ようやく"フラット・フィッシュ・カー"を成功へと導いた。 '89年、アーネスト・ビタ率いる"ライフ・レーシング・エンジンズ"と言う聞き慣れないイタリアのメーカーがW型12気筒エンジンを開発したと発表。従来のV8を2台並べ、そのまん中に4気筒を追加。「V8のコンパクトさと、V12のハイ・パワーを一体化させる事に成功した」として、'90年にF-1へと参戦した。だが恐らく、チーム関係者以外の全ての人々がこのエンジンがまともな戦闘力を持たない事を知っていた。そしてライフW12は予想通り、ただの1度も予備予選を通過出来なかった。それどころか、セッション中、5周以上の走行に耐えられた事が無く、殆どのグランプリで1周も走れない状態であった。挙げ句の果てにライフはシーズン後半、他チームから中古のジャッド・エンジンを購入してマシンに搭載。"ライフ・レーシング・エンジンズ"にとって、既に何の為の参戦なのかさえ理解出来ない状況であった。ただ、この年はスバルがイタリアのモトーリ・モデルニと共同開発した水平対向12気筒エンジンもコローニのシャシーに搭載されて登場したが、こちらは逆に何の冒険も無い、平凡な重いだけのエンジンだった事を考えれば、ライフのチャレンジ精神だけは評価出来る。だがいずれにしても、彼等が当時のトップ・ランナー、ホンダ/フェラーリらとの差を埋める為には、1周につき後20秒縮める事が必要だった。少々大胆な発想も必要だったと言えよう。 "失敗は成功の素"と言う言葉がある。偉大なる天才達が試行錯誤を繰り返す中、幾多のチャレンジの中におよそ実戦での効果が現れなかった作品達は決して珍しく無い。同時に、機を衒って一獲千金を狙い、さほどの物理的根拠も無いまま投入して取り返しのつかない結果を招いてしまった例も多く存在する。だが、長いモーター・レーシングの歴史の中で、彼等の失敗作は決して歴史の中に埋もれて行くだけの役目では無いのだ。その失敗を踏まえた先に、その後のスタンダードとなる成功作が存在し得るのである。そして、その開発の影で命を落として行った多くの勇者達の功績を讃えると共に、心から冥福を祈る。
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