■lap26-"モーター・レーシングの解釈"/チーム・オーダー編-
2002.12.06


'02年シーズンを14勝/221点と言う、史上空前の強さで終えたフェラーリ。ミハエル・シューマッハーは第11戦フランス・グランプリで早々と5度目のタイトルを決め、第13戦ハンガリーではチームも4年連続のコンストラクターズ・タイトル獲得を決定。シューマッハーのチーム・メイト、ルーベンス・バリチェロも4勝でドライバーズ・ランキング2位をゲットし、今年フェラーリ以外で表彰台の1番上に立ったのは第2戦マレーシアのラルフ・シューマッハーと、第7戦モナコのデビッド・クルサードだけだ。ちなみに、フェラーリの総得点221は、他の全チームの合計得点と同数(!)である。これだけ強いフェラーリだが、地元イタリアも含め今年は世界中で物議を醸し出してしまった。そう、"チーム・オーダー"事件である。全ての栄光を手に入れたかのように見えるフェラーリだったが、彼等は本来レースに欠かせない筈のものである" スペクタクル"を観衆から奪ってしまった事により、"信用"だけは失ってしまった。事の発端は第6戦オーストリア・グランプリ。前年、同じオーストリアでバリチェロは2位の座を最終ラップで3位シューマッハーに譲った。そして今年はバリチェロがトップ、シューマッハー2位で最終ラップに入り、各国のTVコメンタリー陣が一斉に「今年はまさか昨年のような事は起きないでしょう」とコメントした矢先の出来事だった。最終コーナーでズルズルとスロー・ダウンして行くバリチェロの横を、シューマッハーがためらいがちに抜いて行き、トップでチェッカーを受けたのだ。2年連続でゴール直前の"フェラーリ順位入れ替え劇"を観せられたオーストリアの観客は激怒、表彰式はグランド・スタンドからの壮絶なブーイングを受けた。そして、表彰台ではシューマッハーが作り笑いを浮かべるバリチェロを本来自分が立つべき優勝者のスペースに立たせ、優勝トロフィーもバリチェロに手渡し、自分は2位のトロフィーを受け取ったのだ。

前戦スペイン・グランプリ終了時点で、ポイント・リーダーのシューマッハーは5戦で4勝/44点、バリチェロは6点。ランキング上のライバル、ウイリアムズのラルフ・シューマッハーは1勝/20点であった。フェラーリから見れば、当然このままシューマッハーにチャンピオン目指して1つでも多くのポイントを獲らせたいところであろう。だが外から見れば、シューマッハーのタイトル獲得は既に決まったようなものだった。つまり、あせる必要等まだ無かった時期だ。ポール・ポジションから絶妙のスタートを切ったバリチェロは順調にトップを快走、'99年ドイツ・グランプリ以来の自身2勝目に向けて素晴しいレースを展開していた。ところが、63周目にフェラーリのテクニカル・ディレクター、ロス・ブラウンからバリチェロに対し、「スロー・ダウンして2位のミハエルにトップを譲れ」と無線連絡が入る。このレース前にフェラーリとの契約延長を発表したばかりのバリチェロは「本気か?」と問い返すが、監督のジャン・トッドも「それがチームのためだ」と答えた。ためらうバリチェロ。66周目に「もう1度だけ聞く。本当に僕にチャンスは無いのか」しかし、トッドもブラウンも何も答えなかった。つまり、最後の決断はバリチェロ本人に委ねられたのである。レース後の記者会見で質問攻めにあったシューマッハーは「このレースの真の優勝者は彼だ。だからこそ、僕も抜くのをためらった。しかし、チームの決定には従わなければならなかった」と説明。バリチェロは「こんな事は別に初めての事じゃない」と、不快感をあらわにした。そして世界中がフェラーリを批判し、そしてFIAは動いた。6月26日、世界モータースポーツ評議会の名の元に、スクーデリア・フェラーリ、ミハエル・シューマッハー、そしてルーベンス・バリチェロに対し決議がなされた。-オーストリア・グランプリの表彰式に於いて、フェラーリ及び2人のドライバーが正しく表彰を受けなかった点に対し、スポーティング・レギュレーション第170条への違反として3者に罰金100万ドルを課す-.....世界中が唖然とした。何故なら、本来問題になっていた順位入れ替えに関して、FIAは何も制裁を加えなかった、いや、加えられなかったからであった。ちなみにスポーティング・レギュレーション第170条とはレース後の表彰式に於いて正しい順位に基づいてトロフィー贈呈が行われなければならない、等の条項であり、結局"チーム・オーダー"とは何の関係も無い。もちろん、協議はなされた。が、FIAはフェラーリ側の「ドライバーは"チームの指示に従う"と言う契約を結んでおり、当然の事をしただけ」と言う主張を受け入れざるを得なかったのだ。つまり、フェラーリの出した"チーム・オーダー"はルール上、認められたのだ。そしてここから問題は"ルール違反"から"倫理"へと移り変わって行く。

以前にも、F-1チームが出した"チーム・オーダー"が問題になった事はあった。例えば'97年の最終戦、スペイン/ヘレスでのヨーロッパ・グランプリ。タイトルをかけて争うウイリアムズのジャック・ビルヌーヴとフェラーリのシューマッハーが接触、シューマッハーはリタイヤし(後に失格となった)、6位以内に入れば初タイトルが手に入るビルヌーヴ。だが接触でフロント・サスペンションを痛めながらトップを走るビルヌーヴに対し、ウイリアムズのピットからは「マクラーレンの2台が迫っている。戦わずに彼等に前を譲れ。彼等は我々のタイトル獲得に常に協力的だった」と言う無線が何度も送られ、結果ビルヌーヴはファイナル・ラップでスロー・ダウンし3位でフィニッシュ、初タイトルを獲得した。後にマクラーレンとウイリアムズがレース中に協議していた事が問題となって明らかになった事だが、"彼等は我々のタイトル獲得に常に協力的だった"と言う部分に"八百長疑惑"が及び、結局処罰は無かったが交信記録は公けのものとなった。そしてもうひとつ、'98年開幕戦オーストラリア・グランプリを例に挙げる。レース前、フロント・ロウに並んだマクラーレン・メルセデスの2人、ミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードはある約束を交していた。それは、「スタート直後の第1コーナーを制した方が優勝する優先権を持つ」と言うものであった。トップを奪ったのはハッキネン。しかしピット・クルーのミスから必要の無いピット・インをしいられたハッキネンはクルサードにパスされ、2位に後退。だが"約束を守った"クルサードが残り2周でスロー・ダウンしてハッキネンを先行させ、ハッキネン-クルサードの順でフィニッシュ。しかもレースはマクラーレンの2人が他車を全て周回遅れにする独走を見せた為、スペクタクルに欠けるのを危惧したレース・プロモーターが「チームに順位を決める権利は無い」と主張。だが結局FIAはこの時も「チャンピオン・シップが私心によってコントロールされる事は受け入れ難い。だが、チームの2人のドライバーが協力し合って走るのを否定する事は出来ない。よって、このようなケースはケース・バイ・ケースで判断するのが望ましい」と言う半端な決議をし、結局誰も処罰される事は無かった。更に、マクラーレン側は「ドライバー同士が決めて行った事。我々は何も指示していない」と説明、この件はその後取り上げられる事は無かったのである。

FIAの決定の後、世界中のファン/ジャーナリストの論議の焦点は徐々に絞られて来た。F-1レースに於ける"スポーツマン・シップ"である。まず、"最も速かった者がトップでチェッカーを受けるのがレースであり、ドライバー同士は最後まで戦うべき"と言う点。ファンから見れば当然の事だが、チーム側からにすればチーム・メイト同士が争う事で得点のチャンスを失うのは耐え難い事だ。が、ウイリアムズやマクラーレンと言ったチームは伝統的にチーム・オーダーやエース・ドライバー制を持たない。その為、かつてアラン・ジョーンズ/カルロス・ロイテマン、ナイジェル・マンセル/ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ/アラン・プロストのような"チーム・メイト同士の争い"によって1チームの圧倒的な強さが目立つシーズンもファンを飽きさせないレースが展開された。事実、今年のウイリアムズではラルフ・シューマッハーとファン・パブロ・モントーヤが何度か"勝利のチャンスをフイにする程"の争いを展開している。もっともこれは、あくまでもファンから見た"スペクタクル"を中心とした視点であり、巨額の資金をチームに投入しているスポンサーから見ればレース序盤にチーム・メイト同士が接触/リタイヤ等しようものならたまったものでは無い。お互いが争う事なく無事にチェッカーを受けて欲しいと思うのもまた理解出来る。ちなみに、過去にこの点でフェラーリは何度か失敗を犯している。'82年サンマリノ・グランプリではチーム・オーダーを無視したディディエ・ピローニがエースのジル・ビルヌーヴとの関係を悪化させ、結果的に取り返しのつかない事態に発展(lap11-"勇者達の肖像・vol.2"/ジル・ビルヌーヴ&ディディエ・ピローニ-参照)、'90年はプロストがタイトル獲得まで後一歩のところまで来ながら、マンセルの裏切りによって全てを失ってしまった。そして'96年にシューマッハーを迎えてから、フェラーリは完全な"エース・ドライバー制度"を築き、チーム・メイトとなったエディ・アーバイン('96〜'99年)もバリチェロも、シューマッハーの勝利をサポートをする"セカンド・ドライバー"としての存在なのである。つまり、フェラーリの2台が1.2位を走行していたなら、そこにはもう優勝争いは存在しないのだ。

第9戦ヨーロッパ・グランプリ、第13戦ハンガリー・グランプリを経て問題は更に悪化した。オーストリアの時と同じようにバリチェロ先行で迎えた最終ラップ、2戦ともに2台が僅差でそのままの順位でフィニッシュ。どう見ても2位シューマッハーは意図的にペースを落としてバリチェロを抜く事をせず、"順位キープ"のまま安全なフィニッシュを行った。これはつまり逆の意味で"チーム・オーダー"であり、シューマッハーはスパートをかければバリチェロと戦えたにも関わらず、"不要な争い"を避けたとしてまたも"レース中のスペクタクル"が問われる事となる。だが、本当の問題は恐らく"1周1秒近く他チームを引き離して行く圧倒的なフェラーリの強さ"にあった。つまり今シーズン、フェラーリに対抗出来るトップ・チームが無く、スタートでフェラーリのふたりが前に出てしまえばそこで"事実上レースが終わった"も等しい、と言う点だ。しかも、フェラーリは第11戦で早くもシューマッハーの2年連続タイトルを決め、残るは前年逃したバリチェロのランキング2位の座とコンストラクターズ・タイトルに絞られたのだから、1.2位をキープした状態で安全にレースをフィニッシュする、と考えるのは当然であろう。かつてのマクラーレン、セナ/プロストのように「最終コーナーを回って来ても、どちらが勝つのかが解らない」と言うスペクタクルは、今のフェラーリには確かに存在しない。この点について、F-1のスポーツマン・シップそのものを問う意見が噴出した。だが、例えば野球はどうだろう。後少しで完投勝利、と言う場面で押さえの投手が登場し、勝ち星は先発投手のものとなる。サッカー、フット・ボール等では初めからオフェンス/ディフェンスの役割がハッキリしており、ツール・ド・フランス等に代表される自転車競技では初めから勝たせる選手は決まっており、それ以外の選手はレースのペースをコントロールする為に出場しているのであって、勝つ事は許されない。もちろん、これらの競技のファンの中にもそのやり方を良しとしない人達が存在するだろう。だが、いずれも最大の目的は"チームの勝利"である、と言う事がハッキリしている。そして問題は、自動車レースに於ける最大の見所は何なのか、と言う部分だ。それは、ドライバー同士が勝利を賭けて戦うのか、自動車メーカーが威信を掛けて強さを誇示するのか、の差だとも言える。この解釈に於いてはモーター・レーシングから"遠い存在と近い存在"とで大きく別れるようだ。普段あまりレースを見ない人からは「八百長だ」との声が上がり、近代F-1が自動車メーカー同士の戦いである事を理解している人からは「圧倒的な強さを誇示するフェラーリの当然の方法論」との意見もある。しかし、今シーズンのF-1のTV中継視聴率がガタ落ちしたのは事実であり、FIAは急遽「ランキング1位のドライバーに何らかのハンデを負わせてはどうか」と言う苦肉の策を提案する事態へと発展した。どちらにしても、フェラーリが今の強さを維持し続ける限り状況は変らないだろう。恐らく今のフェラーリは他チームより2年は先の開発を行っていると言われており、大幅なレギュレーションの改訂でも無い限り現在の勢力図が変化するとは思えないのである。余談だが、'50年代のF-1レースではエース・ドライバーのマシンにトラブルが起きると、ピットでセカンド・ドライバーのマシンに乗り換え(当然セカンド・ドライバーはリタイヤする)、レースを続ける事が許されていた。もちろん、現在では考えられない事だが。

第16戦アメリカ・グランプリではちょっとした事件が起きた。ゴール寸前、もはや恒例となった"フェラーリ2台が並んでフィニッシュする"構図を意識したトップのシューマッハーがスロー・ダウン、2位バリチェロがゆっくりとシューマッハーの後から横に並びかけると、"フィニッシュ・ラインを間違えた"シューマッハーがスロー・ダウンし過ぎ、バリチェロがその意図に反してシューマッハーを抜いてしまい、結果的に0.011秒差と言う、千分の1秒単位での計測が始まって以来の最短記録でのゴールとなった。とにかく、フェラーリ2台はまたも"フィニッシュ直前に順位を入れ替えた"のである。当然、インディアナポリスの観客からはオーストリアさながらの"大ブーイング"が起きた。レース後シューマッハーは「オーストリアでのバリチェロの行為へのお礼」と説明したが、バリチェロは「どうするべきか解らなかった」と困惑。いずれにしても、問題の真っ最中にフェラーリが再び同じ事を繰り返した、と言われても仕方の無い事件であった。少なくとも、彼等は観客が求める"スペクタクル"は提供していない。どちらかと言えば、レース序盤に起きたウイリアムズのラルフ・シューマッハーとモントーヤの順位を巡っての接触と、それを見て激高するウイリアムズのテクニカル・ディレクター、パトリック・ヘッドの表情とアクションの方がファンにとってはスリリングであった筈だ。同時に、今シーズン何度か見られたウイリアムズのモントーヤとマクラーレンのキミ・ライコネンの若き2人によるサイド・バイ・サイドの戦いが"次世代のチャンピオン争い"として、時には優勝者よりもクローズ・アップされている現状が、如何に今のF-1の在り方が問題視されているかを物語っている。

ミハエル・シューマッハーは現在33歳。'92年のマンセル、'93年のプロストが共に38歳でタイトルを獲得している事を考えると、シューマッハーは後3〜4年は間違い無くトップ・レベルのパフォーマンスを見せるだろう。つまり、フェラーリが現在の体制と強さを維持し続けた場合、周囲は「後何年こんなレースが続くのか」と危惧しているようだ。だが、現在取り沙汰されているように例えば最強のマシンにハンデを負わせるとか、最強のドライバーからシートを奪う、と言った考え方が存在するのは間違っている。仮にシューマッハー/フェラーリをF-1から締め出したとして、本来最強のマシン/ドライバーが不在の中でレースが行われたとしたら、ファンはそれで満足するだろうか。シューマッハーがいれば2位争いだった筈のトップ争いを見て、誰が満足するのだろうか。メルセデスもトヨタも、「最強のチームを倒してこそ意味がある」と言ってグランプリに参入して来たのである。そして、フェラーリもそうやってライバル達を倒して現在の地位についた筈だ。同時に、「フェラーリと戦えないレベルの他チームにも責任がある」と言う意見も納得出来ない。'88年、マクラーレン・ホンダ16戦15勝の影にいたフェラーリ/ウイリアムズ/ベネトンが、事実その後トップにのし上がって行く様子を、我々はこの目で見ているのだ。

筆者なりの結論/解釈はこうだ。確かにドライバー同士の戦い/コース上でのバトルはレースに欠かせないスペクタクルだ。が、BMW/メルセデス/ルノー/フォード/トヨタ/ホンダら世界の巨大自動車メーカーに対して最新の技術力を持って圧倒的な強さを誇示するフェラーリは素晴しい。しかしながら、恐らく余裕から来る"フィニッシュ直前の露骨な順位入れ替え劇"がファンの反感を買っているので、どうせならもう少しスタイリッシュに行うべきだ。もしくは、シューマッハーは予選でバリチェロに対してより圧倒的なパフォーマンスを見せ、ポール・ポジションからスタートして完璧な強さでフィニッシュして欲しい。そうする事でフェラーリは何も失う筈が無い。例え他チームから「フェラーリはF-1の価値を下げた」と攻撃されても、「グリッド後方の連中が何か言ってるだけ」と、余裕で望んで欲しい。フェラーリは間違い無く現代のF-1最強のチームであり、シューマッハーもまた史上最速のドライバーなのだから。そしていつか、フェラーリの独占的な強さは必ず失われる。かつてのメルセデス/ロータス/マクラーレン/ウイリアムズらがそうだったように、いつか他の誰かが覇権を奪い取るだろう。そしてその頃、今日を振り返って人は「あの頃のフェラーリは良かった」と言うに違い無いのだ。歴史は繰り返される。その日を最も恐れているのは、他ならぬフェラーリ自身に違い無いのだ。だが、その時期をコントロールするのはFIAの仕事では無い。'94年のベネトンが受けたような仕打ちを見せられるのは、ファンとしてはもうご免なのである。バーニー・エクレストンのバラスト案もグリッド後退案も、現実のものになる日が来ない事を願う。本当のスペクタクルとは、作られたものではならない。それは、発生するものなのである。




「もう"チーム・オーダー"等と言うバカげた行為をしないと言う事を、ティフォッシ達に約束しよう」
-フェラーリ社長、ルカ・ディ・モンテツェモーロ-
「解った。これから"チーム・オーダー"を使う時は、事前に観客やファンに伝える事にするよ(笑)」
-フェラーリ・テクニカル・ディレクター、ロス・ブラウン-


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