■lap24-"名車誕生の舞台裏・vol.2"/ブラバムBT46B-
2002.11.22


'78年のF-1世界選手権第8戦、スウェーデン・グランプリ。アンダーストープ・サーキットでブラバム・チームのトランスポーターから降りて来た2台のマシンは周囲の様々なリアクションを呼んだ。指を差して大声を上げる者、立ち止まって目を丸くする者、クスクスと笑う者、ただ唖然として見つめる者.....。ブラバム・チームのオーナー、バーニー・エクレストン(現FOCA会長)、デザイナーのゴードン・マーレイ、テクニカル・ディレクターのハービー・ブラッシュの3人はその様子を楽しんでいるようだった。だが、彼等に対して他チームの関係者が声を揃えて主張したのは「そのマシンはレギュレーション違反だ」と言うものであった。何故ならそのマシン、"ブラバムBT46B・アルファロメオ"は、マシン後方に巨大な扇風機の様なファンを取り付けていたのだ。

マシン・デザイナーにとって、'70年代後半のグランプリ・シーンはとにかく"過度期"であった。理由は何度か書いているように、優秀なフォード・コスワースDFV・V8エンジンとヒューランド製ミッションFG400によるキット・カーの台頭であり、その中でライバルとの性能差をつける為、ロータスはベンチュリ・カーと言う革命的な領域に達し、タイレル(ティレル)は6輪車と言う独自の思想を持った。そして、この頃からフェラーリ/マトラ/アルファロメオらの12気筒エンジン組はハイ・パワーでありながらも"重く、大きい"その特性に悩まされ続け、フェラーリは'79年を最後に没落して行き、マトラは'77年で撤退、リジェはマトラV12からコスワースV8に移行した途端、常勝チームとなったのが現実である。ここで紹介するブラバムBT46B・アルファロメオと言うマシンは正にその過度期を象徴するようなマシンであった。デザイナーはゴードン・マーレイ。後にマクラーレンMP4/4・ホンダで16戦中15勝と言う記録を打ち立てる事になるマーレイは'75年、搭載するコスワースV8の90度断面に素晴しくフィットするリア・カウルを持つブラバムBT44を制作、モノコック自体も三角断面を持つこのマシンは堂々チャンピオン争いを繰り広げた。が、'76年にチームがパワーアップを目指してアルファロメオの水平対抗12気筒エンジンの搭載を決めると、マーレイ独自のアイデアであった三角断面のモノコックはそのメリットを発揮出来ず、彼のコンセプトは迷路へと迷い込んで行く。苦肉の果てにニューマシン、BT46ではラジエーターの代りに"放熱板"を装備してマシンのコンパクト化を図るもオーバーヒートの連続で失敗。結局後からラジエーターを搭載する羽目になり、BT46は完全にマーレイのコンセプトから外れたマシンになってしまった。だがこの年、前年のチャンピオン、ニキ・ラウダをチームに招いていたブラバム・チームがこのまま'78年シーズンを棒に振るわけには行かず、マーレイはBT46に冒険的な改良を施す事を決定する。

当時のF-1の統括団体、CSIのレギュレーション・ブックには、様々な"抜け道"が存在した。とは言え、まだ誰も考え付かない様なアイデアを事前に取り締まる事が出来る筈も無く、マシンが実際に走り始めてから周囲に「そいつは違反だ」と言われ、そこで初めてCSIが調査に動く事が多かった。だがもしそれが合法と判断されれば、そのチームは少なくとも他チームが真似をし始める翌シーズンまでのアドバンテージを得る事が出来る。そして、ある部分にマーレイが目を付けた。ロータス78はウイング・カー(マシンそのものが羽根を逆にしたような形状のコンセプトを持ち、ダウン・フォースを得る)を開発、マシン下部の空気の流れを"サイド・スカート"によってコントロールしてベンチュリー効果を得ていた。しかし、三角断面シェイプを持つブラバムBT46にはウイング・カーと同レベルのダウン・フォースを得る事は出来ない。ならば、別の方法でマシン下部の整流をコントロールしなければならない。マーレイは答を出した。
-マシンのリアにファンを取り付け、空気を後方に追い出してみよう-
レギュレーション・ブックには、"可動する空力部品の使用"は認められていなかった。だが、ラジエーター等の"冷却用"としてのファンは認められていたのだ。.....何と言う事だろう。マーレイはBT46の後方にフロント・タイヤと同じ程のサイズのファンを取り付けたBT46Bを制作、ファンはエンジン上部に搭載された(とは言っても少々離れた場所だったが)ラジエーターの冷却用であると"偽り"、CSIの許可を取り付けてしまったのだ。ちなみに、この時CSIは実際にBT46Bを見る事無く、書面だけでのやり取りでこの許可を通達してしまっていた。無論、実物を見れば明らかにクレームが付いた筈であった。何故なら、BT46Bはエンジンのアイドリングをするだけで路面に吸い付くかのようにマシンの車高が下がる、"逆ホバー・クラフト"のような仕草を見せたからだった。しかし、極秘に行われたテストに於いて、エースのラウダは異常なまでのアンダー・ステアを訴え、セカンド・ドライバーのジョン・ワトソンも「確かにアンダーで、コーナーでアクセルを戻すとダウン・フォースが減少する」と、その操縦性への違和感を露にした。だが、ひとつギアを落として逆にアクセルを踏み込む事によって、"ファン・カー"BT46Bは強大なダウン・フォースを生み出し、素晴しい速度でコーナーを曲がる事が出来た。つまり、他チームのマシンに対し、ある意味"必要以上のアドバンテージ"を得てしまったのだ。この時、マーレイはこのマシンが最終的には"違法"と判断される事を知っていたであろう。だが結局BT46Bは誰のおとがめも無く第8戦スウェーデン・グランプリにエントリーし、冒頭の場面へと繋がる。

予選セッションが始まると、各チームが一斉にブラバム・チームに対して抗議の声を上げた。「あれは冷却用なんかじゃない。違法な可動式空力パーツだ」だが、マーレイは「ダウン・フォースは前後のウイングで得ている」と反論。しかし、ロータスのマリオ・アンドレッテイは「あのマシンの後を走ったらゴミやら小石やらがヘルメットめがけて飛んできた」と、危険性をアピール。結局ロータス、ティレル、ウイリアムズら主要チームが正式な抗議文を提出したが、BT46Bを"認めた"CSIに却下された。そして予選中、ブラバム・チームの首脳陣は二人のドライバーに異例のオーダーを出していた。後にワトソンが語った所によると、そのオーダーとは「ポール・ポジション・タイムを出すな」と言うものであった(!)。何故なら、予選中から最速タイムをマークして2台がフロント・ロウに並んでしまえば、その違法性を肯定するようなものだとチーム・オーナーのエクレストンが言ったからだ。かくして予選を"軽く流した"ブラバムの二人はポール・ポジションをアンドレッティに譲る事になる。そして迎えた決勝レース。スタート良くトップに立ったアンドレッティのロータスを、ラウダが"慎重に"追う。だが、スタートに失敗したワトソンはアロウズのリカルド・パトレーゼ、ロータスのロニー・ピーターソンらとバトル中、スピンしてコースオフ。この時、信じられない光景が繰り広げられてしまった。サンド・トラップにリアから滑り込んだワトソンのBT46Bは、マシン後方から天高く猛々と土埃を上げてしまったのだ。それはつまり、シャシー下部のサイド・スカートの中(つまりマシンの底)に閉じ込められているものを、BT46Bがファンで後方へ押し出している、つまり"違法なファン・カー"の決定的な証拠だったのである。そして、その閉じ込められているものは走行中の空気である事は誰の目にも明らかであった。レースは39周目、ラウダがトップのアンドレッティを難無く抜き、"必要以上にリードを広げないように"気を使いながらも2位に大差を付けてフィニッシュ。当然、他チームはこの優勝は無効であると主張したが、結局ブラバムBT46B/ラウダの優勝は確定した。先頭に立って抗議していたロータスのコーリン・チャップマンは、なんとスウエーデン・グランプリのわずか5日後には既にマシン・サイドにファンを取り付けたマシンを制作していた。しかしレースの1週間後、"ファン・カー"は正式に"禁止"とされ、このマシンが発表される事は無かった。同時に、ブラバムBT46Bはたった1戦のみ、それも優勝と言う成績を残して表舞台から去る事となった。禁止の主な理由は、まず第一に可動式空力装置が違法である事、そして後方を走るマシンに対しての危険性、であった。が、それ以上にCSIが危惧していたのは、異常なまでのコーナリング・スピードの上昇であった。本来、年々速度アップを続けていたF-1マシンを"安全性"と言う側面から規制する、現在まで続くレギュレーションの"最初の犠牲"とも言える規制が、"ファン・カー"ブラバムBT46Bに対して施行されたのである。マーレイはこの決定を聞くと即座にアルファロメオに対しV型12気筒エンジンの制作を打診、ロータスと同じ(つまり合法な形での)ウイング・カーを制作するが重く大きいV12エンジンではもはや勝負にならず、翌'79年、結局ブラバム・チームはアルファV12からフォード・コスワースV8へとスイッチし、不本意ながらようやく戦える体制を築く。

しかし、その後時代は急速に"エンジンのハイ・パワー化"へと傾倒して行き、'83年にマシン下部へのフラット・ボトム規定によってロータス78から続いた"ベンチュリ・カー"思想が完全に禁止されると、グランプリ全体に一斉にエンジンの"ターボ化"が始まる。ブラバム・チームが、そしてマーレイが本来ハイ・パワー・エンジンで戦う思想を持っていた時代には"時代遅れ"とされたものが、その後のグランプリで改めて主流となって行ったのは皮肉であった。しかし、マーレイの考案した"ファン・カー"はワトソン言わく「当時の他チームのマシンより5秒は速く走れた筈」の最速マシンであった事は事実である。が、ウイリアムズ・チームのフランク・ウイリアムズは「あんな事を続けていれば、数年後にはドライバーの肉体がGフォースに耐えられないマシンが出来上がっていただろう」と指摘した。つまり、マーレイの"ファン・カー"と言うコンセプトは、初めから否定される運命を背負っていたのだ。そして'88年、マーレイは最強のホンダ・V6ターボを搭載したマクラーレンMP4/4をデザインし、今度こそ合法の中で栄冠を勝ち取るのである。




「.....でもね、禁止されて、ファンの付いていない以前のマシンで望んだ次のレース('78年フランス・グランプリ)で、僕はポール・ポジションを獲ったんだ!。つまり、マーレイのマシンは素晴しかったって事さ」
-'02年/ジョン・ワトソン-


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