| .....それは、全ての始まりであった。'92年〜'97年にかけての5度のコンストラクターズ・チャンピオン、内4回はドライバーズも制したWタイトル獲得。時代が求めた、"空力+エンジン・トルク+ハイテク"と言う、パッケージングによるアドバンテージ。そして、それらをまとめあげる際に最も彼等を苦しめた"信頼性"と言う落とし穴。.....確かに、結果的にタイトルは取れなかった。だが、コイツはその後数年間に及ぶ"ウィリアムズ・ルノー"と言う最強の組み合わせのプロローグとして、'91年のF-1グランプリの舞台へとデビューした。ウィリアムズFW14は、F-1マシンのその後の進化に於いて最も重要な役割を果たした、'90年代最高の名車だと断言する。 '91年、NAエンジン・レギュレーションも3年目を迎え、F-1グランプリに参加するチームはそれぞれV8エンジン7チーム/V10エンジン4チーム/V12エンジン7チームと、異なるシリンダー数のエンジンをチョイスして来た。単的に言えばマルチ・シリンダーはハイ・パワーが、V8勢は軽量コンパクトな操縦性が武器である。ちなみにこの年ホンダが従来のV10と新開発のV12を、ジャッドがV8と新しいV10を、それぞれ異なる2チームに供給。また休止期間を経て新たに参入したポルシェとヤマハがそれぞれV12を製作して投入。少なくともF-1全体を見れば"マルチ・シリンダー化"したと言える。大きな要因は前年のフェラーリの活躍である。NA元年の'89年、マクラーレン・ホンダV10がターボ時代の勢いを失わずに余裕の勝利を飾ったが、翌'90年はV12を擁するフェラーリにシーズン後半まで苦しめられたのである。また決してワークス態勢とは言えなかったランボルギーニもハイ・パワーV12を武器に大暴れし、'91年シーズンにはディフェンディング・チャンピオンのホンダまでもがV10を捨て、V12を製作して来たのである。これからのF-1を勝ち抜くにはマルチ・シリンダーのハイ・パワー競争を制する必要がある、と多くのチーム/メーカーが解釈したのだ。もうフォード・コスワースに代表されるカスタマーV8の時代は終わりだと、誰もが思っていた。そんな中、V10エンジンは僅か4チームと言う少数派となった。V12へ移行したホンダが前年のV10を中嶋悟引退の花道としてティレルに供給し、ジャッドはV8からV10への進化の過程にあり、イルモアV10はこれが初のF-1エンジンであった。 .....ターボ制覇の夢敗れ、1年間の休止を経て'89年にウィリアムズと組んでF-1復帰したルノーだけが、V10一筋3年目を迎えていた。エンジン開発責任者のベルナール・デュドはV12への移行等、全く考えていなかった。V8の軽量/コンパクトとV12のビッグ・パワーの中間に位置する、トルクとドライバビリティに優れたエンジン。V10こそがF-1エンジンの最高のカタチであると、信じて疑わなかったのである。 '90年のフェラーリ躍進の原動力のひとつには、奇才ジョン・バーナードが考案/製作し、'89年に実戦投入されたF-1初のセミ・オートマチック・ミッションがあった。クラッチを繋いでコックピット右側のシフト・レバーを右手で作動する従来のギア・シフトでは無く、ステアリング裏のパドル・シフトを使ってギア・チェンジを行うこのシステムは、投入初期の'89年こそ信頼性のトラブルに泣いたものの、2年目の'90年にはほぼ完全に熟成され、ドライバーが片手をステアリングから放す事無くスムースにシフト・チェンジが行えると言う画期的なアドバンテージを持ったのである。'77年のチーム創設以来チーム・オーナーと共に歩むウィリアムズ・チームの敏腕テクニカル・ディレクター、パトリック・ヘッドは自チームのマシンにこのシステムを採用する事を決定し、既に2年間このシステムで走って来たドライバー、ナイジェル・マンセルを本家フェラーリから迎え入れる。 '90年、ふたつのV8チームが予想だにせぬ活躍を見せた。ひとつはティレル。コスワースV8搭載ながら、"ドルフィン"と呼ばれた独特なハイ・ノーズとアンヘドラル・ウィングで空力性能を極めたハーヴェイ・ポストレスウェイト/ジャン・クロード・ミジョーによるティレル019は新鋭ジャン・アレジのドライヴで快走した。そしてもうひとつはジャッドV8を搭載したレイトンハウスであった。'88年のターボ最後の年から、ホンダ・V6ターボと時折互角の戦いを見せていたこのマイアミ・ブルーの色鮮やかなマシンは、'90年第7戦フランスでは一時1-2走行する活躍を魅せた。しかしこのマシンはコース路面に対してナーバスに反応し、路面がフラットなフランス/ポール・リカールでは大活躍したものの、前戦メキシコでは荒れた路面で全く性能を発揮せず、2台予選落ち、と言う極めてピーキーな性能を持つマシンであった。このマシンの設計者はイギリス/サザンプトン大学で航空力学を学び、かつてポストレスウェイトに仕えたマシン・デザイナー、エイドリアン・ニューウィーであった。ヘッドはニューウィーの空力センスに目を付け、'90年シーズン終了を待たずにウィリアムズへとヘッド・ハンティングする。それは言うまでも無く、'91年用マシンの設計を依頼する為であった。 .....継続によって信頼性と性能向上を武器とするルノーV10エンジン、ドライバーとミッションの安定性を求めたハイ・テク兵器、セミ・オートマチック・トランスミッション、そして重過ぎず大き過ぎずのエンジンを搭載する事でマシン・デザインに幅を持たせ、コーナリング時のマシンの挙動を最大限コントロールする空力の天才、ニューウィー。.....準備は整った。大きく重く"肥えて"行くライバルを尻目に、ウィリアムズの世界制覇の野望が始まって行く。 ウィリアムズは2年連続コンストラクターズ・タイトルを獲得した'87年いっぱいで最強ホンダV6ターボを失い、'88年は急場凌ぎのジャッドV8で苦戦。'89年にNAレギュレーションに合わせてF-1復帰したターボの先駆者、ルノーの開発したV10、RS1を搭載したウィリアムズFW13を駆ってティエリー・ブーツェンが雨がらみのレースで2勝。'90年は改良型のFW13Bでブーツェンとベテランのリカルド・パトレーゼがそれぞれ1勝ずつを挙げてトップ4を維持していた。が、ウィリアムズはその成績で満足するようなチームでは無かった。"打倒ホンダ"の執念に燃え、Wタイトル奪還に向けて確実に態勢を整えていたのである。更に好都合な事に、'90年にマクラーレンからフェラーリに移籍したアラン・プロストがフェラーリのエースとなった為に、'88年でウィリアムズを離脱してフェラーリに在籍していたマンセルが行き場を失くし、一旦引退発表したもののウィリアムズに復帰する事となったのである。これにより安定こそしているものの堅実過ぎたブーツェンがウィリアムズを切られ、マンセルとチーム3年目のパトレーゼがコンビを組む事となった。マンセルは既に2年間フェラーリのセミ・オートマチック・システムで走って来たドライバー、そしてパトレーゼは誰よりもルノーV10を知り尽くしているドライバーであった。ヘッドはギア・ボックスの設計にかかり、そして'90年第8戦イギリス・グランプリ後にレイトンハウスからウィリアムズに加入したニューウィーがウィリアムズのニュー・マシンの基本設計に取りかかる。'90年のFW13Bはシャシー剛性とエアロダイナミクスに問題を抱えたマシンであった。ニューウィーはこの年素晴らしい活躍を魅せたアンヘドラル・ウィングのティレル019に興味を持ち、自らのマシン設計に活かす事にした。ところが、'90年シーズンも終わろうかと言う9月になって、FISAが発表した'91年のマシン・レギュレーションの変更点の中に、ニューウィーが計画していたマシン底面のデザインに影響する項目が存在した。止むなくニューウィーはマシン下部を全面的にデザインし直す事となってしまった。'91年1月、紆余曲折を経てウィリアムズFW14・ルノーRS3はようやく実走テストを開始する。 イギリス/シルバーストン・サーキットに現れたFW14は前年型FW13Bに比べ、明らかに洗練された空力デザインを持っていた。フロント部はニューウィーの前作、レイトンハウスCG901からの流れを組む細く長いノーズを持ち、ヘッド製作のプッシュロッド・サスペンションは横置きとなり、ロッカー・アームは完全にカウルの中に納められ、美しい曲線を描いていた。フロント・ウィングはミジョーのティレル019を研究した結果、中央部がやや曲線となった。インダクション・ポッドはFW13の特徴的なマッシュルーム型からオーソドックスなものとなり、コンパクトなルノーRS3エンジンをこちらも緩やかな曲線で包むリア・カウルへと続く。ひとことで言って"美しい"マシンであった。そして、FW14のもうひとつの特徴、それがヘッドとニューウィーの腹心、マックス・ナイチンゲイルの手によるセミ・オートマチック・トランスミッションの採用である。F-1初のシーケンシャル式が採用されたこのセミ・オートマチック・トランスミッションは、フェラーリと同様ステアリングに取り付けられたパドル・シフトによって油圧制御される。しかしシステムの信頼性はまだ確立されておらず、実戦投入に向けては相当な量のテスト走行/データ摂取を必要としていた。当初、チームはマニュアル・ミッションに置き換える事は不可能な為にFW14の実戦デビューは第3戦サンマリノ・グランプリを予定していた。.....ところが、FW14はFW13Bに比べ、既に1周1.5秒程度速かった。ヘッドはチーム内の反対意見を押し切り、3月の開幕戦アメリカ・グランプリからFW14を投入する事に決めた。 '91年シーズンは、アイルトン・セナ/マクラーレン・ホンダV12の開幕4連勝で幕を開けた。前年あれ程マクラーレンを脅かしたフェラーリは全く振わず、セナはあれよと言う間に4戦で40ポイントを獲得、このままシーズンを余裕で駆け抜けるだろうと思われていた。 .....しかし、マクラーレン・ホンダ陣営は焦っていた。「ウィリアムズが速い」結果だけ見ればここまでマンセル/パトレーゼ共に4戦中3戦リタイア。その殆どがセミ・オートマチック・トランスミッションのトラブルが原因であった。しかし、第2戦ブラジルでは2台共にマクラーレンのラップ・タイムを大きく上回りながら猛追し、パトレーゼはトラブルの起きたミッションを騙し騙し操り、FW14を2位に導いた。第4戦モナコではマンセルが予選5番手から終盤2位に上がると、トップのセナよりも1周4秒近く速いペースで追撃を始めたのである。結局逆転される事は無かったが、前年フェラーリが見せた"大化け"を、今季はウィリアムズがやって来た。マクラーレン・ホンダ陣営は既にその事に気付き、警戒し始めていたのである。 第5戦カナダで、パトレーゼ-マンセルが予選フロント・ロウを独占。スタートでマンセルがパトレーゼを出し抜き、トップを独走。ここまで4連勝のセナは3位、前を行くパトレーゼを必死に追うがその差は広がるばかり、26周目には遂に電気系統のトラブルでストップしてしまった。これでセナの開幕5連勝は消え、ウィリアムズの1-2態勢が固まった。が、41周目にパトレーゼがタイヤを痛めてピット・イン、コースへ復帰するもまたもミッション・トラブルに見舞われ、ベネトン・フォードのネルソン・ピケとティレル・ホンダのステファーノ・モデナに抜かれて4位に転落。一方のマンセルは移籍後初勝利に向けて最速ラップを記録しながら爆走。しかしファイナル・ラップ、既に優勝を確信し、観客に手を振っていたマンセルのマシンが突如ヘアピンでストップ。マンセルは過ってイグニッション・スイッチを切ってしまったのである。結局パトレーゼがピケ/モデナに続く3位となり、マシンを降りたマンセルは6位。ウィリアムズは勝てた筈のレースを不用意に落としてしまった。 続く第6戦メキシコはまたもパトレーゼ-マンセルが予選を凌駕。決勝では両者違いに譲らず激しいバトルを繰り返し、ファイナル・ラップまで続いたドッグ・ファイトを制したパトレーゼがシーズン初勝利。セナはウィリアムズのふたりから1分近く離されて3位フィニッシュ。ようやく長いトンネルを抜け出したウィリアムズFW14の快進撃は続き、翌第7戦フランスはパトレーゼが3戦連続となるポール・ポジションを獲得するが、スタートでまたもミッション・トラブルが起こり後退、4番手スタートのマンセルがフェラーリのプロストとのバトルを制してウィリアムズ復帰後初優勝。待望の1勝を挙げたマンセルを止める事はチーム・メイトのパトレーゼですら難しく、続く第8戦イギリス/第9戦ドイツと3連勝。ドイツでは今季2度目のウィリアムズ1-2フィニッシュを達成し、マンセルはチェッカー直前にガス欠でストップしたセナをサイド・ポンツーンに乗せてパレード・ラップを行う余裕のパフォーマンスを見せた。そして遂にコンストラクターズ選手権でウィリアムズがマクラーレンを1ポイント上回り、マンセルは首位セナに8ポイント差と迫ったのである。 .....今や誰の目にも、ウィリアムズ有利は明らかだった。FW14の予選での圧倒的な速さ、スタート・ダッシュの正確さ、安定して速いラップ・タイム、そして好調マンセルの力強いパフォーマンス。王者マクラーレン・ホンダ/セナは2戦連続でフィニッシュ寸前にガス欠ストップする等、全てが悪い方向へと向いていた。このままウィリアムズ/マンセルが逆転王座に着くと、皆が考え始めていた。しかし第10戦ハンガリー、第11戦ベルギーはセナがチャンピオンの貫禄を見せ、2連勝。波に乗るウィリアムズ勢を突き放しにかかる。FW14はハンガリーでは2台共にブレーキ・トラブル、ベルギーではマンセル車に電気系、パトレーゼ車にエンジン・トラブルが襲い、肝心な所でトラブルに泣いた。翌第12戦イタリアではパトレーゼにまたもミッション・トラブルが起こるが、ノー・トラブルのマンセルは圧倒的な速さでセナを34周目にオーバー・テイクして今季4勝目。何も起こらなければ依然として最速である事を証明した。シーズンは残り4戦、セナ77ポイント/マンセル59ポイントとなって天王山の第13戦ポルトガル〜第14戦スペイン、2週連続開催となる通称"イベリア半島決戦"へと向かう。 第13戦ポルトガル・グランプリ、予選はパトレーゼがポール・ポジション、セナ3位、マンセル4位。絶好のスタートでマンセルはセナと2番手スタートのゲルハルト・ベルガーの2台のマクラーレン・ホンダをパスし、パトレーゼに次ぐ2位で1コーナーへ。17周目、既にドライバーズ・タイトル獲得の望みを断たれていたパトレーゼがマンセルに先頭を譲り、2台のマクラーレンのブロック役を買って出た。27周目にベルガー、28周目にセナがタイヤ交換の為ピット・イン。この時点でマンセルとセナの差は10秒、30周目にマンセルがピット・ロードへ。ウィリアムズは余裕の作業でマンセルを再びトップのままコースへと送り戻せる筈だった。 .....マンセルのタイヤ交換が始まった。5秒が経過した時、右リア・タイヤ装着担当のメカニックが作業終了の合図を出した。が、実際にはロック・ナットを締めるガン担当のメカニックはまだ作業を終えていなかったのである。ロリポップが上げられ、マンセルはアクセルを全開にしてピット・ロードを加速する。次の瞬間、マンセルの右リア・タイヤはウィリアムズFW14から外れ、隣のティレルのピットへと転がって行った。ピット・ロード上でストップし、両手でステアリングを叩いて悔しがるマンセル、呆然と立ち尽くす右リア担当メカニック。ウィリアムズのメカニック達は慌ててマンセルのマシンに駆け寄り、ピット・ロード上で右リア・タイヤを装着、結局マンセルは1分半もかかってようやくコースへと復帰するが、この時点で順位は17位まで落ちてしまった。マンセルは最速ラップを更新しながら壮絶な追い上げを見せる。そして50周目、6位まで上がって来たマンセルに失格を意味するブラック・フラッグが提示される。何故ならピット・ロード上でのピット作業はレギュレーション上禁止されており、30周目のマンセルのタイヤ交換は明らかに違反だったのである。レースはパトレーゼが制したが、セナは2位でフィニッシュし、6ポイントを加算。これで残り3戦でセナ83ポイント/マンセル59ポイントとなり、マンセルは絶体絶命となってしまった。 翌週の第14戦スペイン、マンセルは気分一新、予選でセナの前に出る。スタートではポール・ポジションのベルガー、3番手スタートのセナに前を塞がれるが、マンセルは激しくセナを攻めたてる。5周目のホーム・ストレートでマンセルがセナのスリップ・ストリームから抜け出し、両者ピタリと並んだまま1コーナーへ。10秒ものサイド・バイ・サイドの末にマンセルがセナをインから抜き、21周目にはベルガーもパスして首位へ。結果的にマンセルはマクラーレンの2台を実力で抜いて5勝目を挙げ、かろうじてチャンピオン・シップに残った。コンストラクターズではウィリアムズがマクラーレンを1ポイント逆転、しかしこの時点でマンセルがドライバーズ・タイトルを獲得するには残り2戦を連勝し、セナが合計4ポイント以下でなくてはならない。 第15戦鈴鹿、決着はあっけなく着いた。スタートでまたもマクラーレンの2台が先行し、3番手スタートのマンセルは2位セナに押さえ込まれていた。マクラーレンはその間に首位ベルガーを逃がし、ウィリアムズを封じ込めようとしたのである。そして10周目、セナの後方乱気流でラインを乱したマンセルが1コーナーのサンド・トラップに消え、セナの2年連続3度目のタイトルが決定した。続く最終戦オーストラリアは大雨による赤旗で14周終了となり、マンセルはクラッシュして足に軽傷を負ったものの最終順位は2位、しかしセナが優勝/ベルガー3位となって結局コンストラクターズ選手権もマクラーレンが4年連続で獲得したのである。シーズン最後を飾る表彰台に、足に怪我を負った2位マンセルの姿は無かった。結果、'91年のドライバーズ選手権は1位セナ96ポイント/2位マンセル72ポイント。コンストラクターズ選手権は1位マクラーレン・ホンダ139ポイント/2位ウィリアムズ・ルノー125ポイントで終了した。ちなみにシーズン勝利数はマクラーレン7勝(セナ6勝/ベルガー1勝)/ウィリアムズ7勝(マンセル5勝/パトレーゼ2勝)でイーブン、ポール・ポジション獲得はマクラーレン9回(セナ7回/ベルガー2回)/ウィリアムズ6回(パトレーゼ4回/マンセル2回)で、1-2フィニッシュはマクラーレン3回/ウィリアムズ2回、予選フロント・ロウ独占は共に2回である。 .....こうして見ると意外に僅差でマクラーレンがウィリアムズを下したシーズンだった事が解る。興味深いのはその完走/入賞率で、印象的な場面だけを追えばマンセルがやたらとチャンスでリタイアしている印象が強いが、実はマンセルはリタイアした5戦以外、完走した11戦全てで入賞している。ところが、同時にセナが16戦15完走14入賞と言う離れ業をやってのけていた。数字にすると実に完走率93.8%/入賞率87.5%となり、'91年シーズンの両者の差が"信頼性"によるところが大きかった事が解る。しかしウィリアムズFW14がマシン・トラブルでリタイアしたのは6回、その内ミッジョンが原因となったのはマンセル2回/パトレーゼ1回のみであった。つまり、FW14のセミ・オートマチック・トランスミッションは初年度から相当な信頼性を持っていた事になる。開幕2戦でのマンセルのリタイア時の走行順位(3位/2位)を考えると、失ったポイントは10ポイントにすぎない。しかし問題はその間セナ/マクラーレン・ホンダが毎戦10ポイントずつ加算していた事だ。そしてそのセナがリタイアした唯一のレース、第5戦カナダではマンセル自らがミスをした。更にシーズン終盤の天王山、第13戦ポルトガルではチームが信じられないようなミスを犯す。ウィリアムズの敗北は自滅とセナの"開幕逃げ切り"に翻弄された結果でもあり、タイトル奪取失敗は決してFW14のせいだけでは無い事もまた事実である。 FW14は決して完成されたマシンでは無かった。が、前年モデルのコンセプトから大きく路線変更し、ほぼゼロから製作されたマシンとしては非常に完成度の高いマシンだったのである。その要因のひとつに"方向性の確実性"がある。ニューウィーはエアロダイナミクスを極め、ヘッドはセミ・オートマチック・ミッションを開発し、そしてデュドは軽量でトルク性能に優れたエンジンを作った。これらは全て"コーナリング時の安定性"を目指したものである。空気抵抗を減らし、ハイ・パワーなマルチ・シリンダー・エンジンで勝負したマクラーレン・ホンダに対抗する為にウィリアムズが取った方法は、空気抵抗を利用し、トップ・スピードよりもコーナーへのアプローチと脱出時の安定性を極め、セミ・オートマの採用でドライバーの負担を少なくする。三者の目指すものはピタリと一致し、F-1マシンを"トータル・パッケージング"の時代へと導いたのはFW14だったのである。そして興味深い事に、FW14が勝利したサーキットには、エルマノス・ロドリゲス(メキシコ)/シルバーストン(イギリス)/ホッケンハイム(ドイツ)/モンツァ(イタリア)等、意外にもハイ・スピード・サーキットが多い。本来ホンダ/フェラーリ等のマルチ・シリンダー勢が席巻しそうな高速サーキットで、ルノーV10を搭載したウィリアムズがいずれも圧倒的な強さで勝っている。その大きな要因がデュドの作り上げたトルクとレスポンス重視の軽量エンジンルノーRS3であり、ヘッド作の高いトラクション能力と安定感を持つサスペンションであり、そしてニューウィーのエアロダイナミクスなのである。元々ヘッドはエアロダイナミクスよりもエレクトロニクスに長けたエンジニアであり、そのデザインの多くは冒険を避けたコンサバティヴなものばかりであった。その堅実さが時として彼等をチャンピオンに導き、反対に中団に埋もれさせて来たりもした。そのヘッド自身がチームの将来をも見据えてハントしたデザイナーとして、ニューウィーはあまりにも適任だったのである。反対にニューウィーはレイトンハウスと言う中堅チームで、自身のエアロダイナミクスを追求するにはシャシーのメカニカル・グリップが不足している事に不満を持っていた。'90年第7戦メキシコ(2台予選落ち)と翌第8戦フランス(1-2走行)と言うチグハグな結果がレイトンハウスの全てだったのである。路面コンディションによってマシンの性能がそこまで安定しないのであれば、デザイナー/テクニカル・ディレクターとしてやるべき事/出来る事は無い。そこにヘッドからの誘いが絶妙のタイミングでやって来たのだ。 「パトリック(ヘッド)は、『俺は足回り(サスペンション)をやるから、君は空力に専念してくれ。エンジンはデュドが軽量/コンパクトで強力なヤツを作ってくれるから』と言ったんだ」とニューウィー。「ミジョーのティレル019が成功して、僕も含めて皆エアロダイナミクスに注目し始めていた。特にマルチ・シリンダー・エンジンじゃ無い人達がね。ロリー・バーン(ベネトン)やゲイリー・アンダーソン(ジョーダン)は同じ事を考えたと思うよ。彼等はフォードのV8エンジンだったからね。僕もCG901(前年レイトンハウスでニューウィーがデザインしたマシン)をベースに、ミジョーのアイデアを取り入れて行ったんだ」当時、メーカー製のマルチ・シリンダー・エンジンを抱えるチームには、エンジン・パワーを最大限に活かす為には逆に保守的なマシン・デザインに向かうしか無かったのも事実である。そう言う意味ではルノーがもしV12エンジンをチョイスしていたらニューウィーの出番は無かった、もしくは起用が失敗に終わっていたかも知れない。 「パトリックは保守的で、僕は革新的で時々調子に乗ってしまうタイプ。だから、互いにブレーキがかけられる、良い関係なんだ」ニューウィーはトップ・チームであるウィリアムズに来た当初、レイトンハウスとの差に愕然としたと語っている。「F-1は常に進化を必要としているから、ひとりのエンジニアがプロジェクト全体の責任を負う事は事実上不可能なんだ。小さなレイトンハウスでは逆にそれが当り前だったが、ウィリアムズではパトリックに師事する非常に優秀なテクニカル・スタッフ達が見事に仕事を分担していた。おかげで僕は空力分野だけに集中出来たんだ」ヘッドは「皆、私がエイドリアンをこき使っていると思っているかも知れないが、逆に彼が私に鞭打って来るんだよ(笑)」と冗談交じりで返す。当時のウィリアムズは"適材適所のチーム・ワークでマシンを作り上げる"と言う、現在では当り前のような役割分担制度を最初に成功に導いた例、と言える。反対にマクラーレンにはスティーヴ・ニコルズやホンダの離脱が、フェラーリには恒例のお家騒動が起きている最中であり、ウィリアムズが全てにバランスの取れたチーム運営を成功させたのはその後のF-1チーム運営に大きな影響を齎すのである。 .....そして翌'92年、FW14の進化型FW14Bはシーズン10勝を挙げ、マンセルに初の栄冠を齎す念願のWタイトルを獲得する。FW14Bは実は'91年シーズン中から地道に開発/熟成されて来たアクティヴ・サスペンション/トラクション・コントロール・システムを搭載し、マクラーレン・ホンダを初めとするライバル達を完膚なきまでに叩きのめした。マンセルは年間9勝で当時のシーズン最多勝利新記録を更新、1-2フィニッシュ6回/予選フロント・ロウ独占10回。更には、既に完成していたニュー・マシン、FW15を温存させる余裕すらあったのである。この流れは'91年のFW14の成功無くしては不可能なものである。ウィリアムズはFW14のコンセプトの正しさを確信し、それを発展させて行く事だけに集中出来たのである。'93年は更に電子制御スロットル/ABS(アンチ・ロック・ブレーキング・システム)を搭載したFW15Cを投入、アラン・プロスト/デイモン・ヒルを擁して全16戦中10勝/15ポール・ポジションで2年連続Wタイトル獲得。'94年、大幅なレギュレーション変更でハイテク装備が抑制され、エアロダイナミクスを追求したFW16Bを投入。しかしマクラーレンから移籍したセナを第3戦サンマリノの事故で失い、混乱したチームは急遽ヒルをエースに据えマンセルとデビッド・クルサードを交互に起用、ドライバーズ・タイトルはミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)に奪われたが3年連続でコンストラクターズ選手権を死守。'95年はハイノーズのFW17Bにヒル/クルサードのコンビで戦うが、ウィリアムズと同スペックのルノーRS7C/V10エンジンを搭載したシューマッハー/ベネトンにWタイトルを奪われる。しかしマシン性能/スピードではベネトンを凌駕しており、FW17Cの発展型となる翌'96年のFW18はヒル/ジャック・ビルヌーヴのコンビで2年振りにWタイトルを奪還。'97年もFW19+ビルヌーヴ/ハインツ・ハラルト・フレンツェンがWタイトル獲得に貢献。結果的にウィリアムズ・ルノーは'92〜'97年の6年間でWタイトル4回、と言う圧倒的な強さを誇ったのである。 .....しかし'97年を最後に、ウィリアムズはルノー(F-1活動休止)とニューウィー(マクラーレンへ移籍)のふたつの"柱"を、一挙に失ってしまう。同時に、新たにニューウィーを獲得したマクラーレンはメルセデス・ベンツ/イルモアと組んで'98〜'99年の2年連続でタイトルを獲得し、ウィリアムズはシーズン未勝利の時期へと突入してしまった。ニューウィーのシャシー+ヘッドの技術+軽量/トルク重視のルノーV10エンジン、正にひとつのコンセプトの終わりがひとつの流れを壊してしまったのである。.....ここ数年最強を誇るフェラーリも、'00年に前年までのF399から"F1-2000"へと変貌した現在のフェラーリ陣営(ジャン・トッド/ロリー・バーン/ロス・ブラウン/パウロ・マルティネッリ/ミハエル・シューマッハー)が継続されている限り、もしかしてその強さに陰りが見える事は無いのかも知れない。それはこのFW14に始まるウィリアムズ・ルノーの快進撃が証明しているのである。
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