■lap111-"実録・'90年フェニックス"/語り継がれる伝説の名勝負-
2004.09.01


50年以上に渡り、多くの名勝負が繰り広げられて来たF-1グランプリに於いて、人々の記憶に残るレースと言うものはそう多くは無い。古くはスターリング・モスがプライヴェート仕様のロータス・クライマックスでワークス・フェラーリ勢を倒した"'61年モナコ"や、マトラ・フォードのジャッキー・スチュワートがヨッヘン・リント(ロータス・フォード)/ジャン・ピエール・ベルトワーズ(マトラ・フォード)/ブルース・マクラーレン(マクラーレン・フォード)の3人とファイナル・ラップまで優勝を争い、4人が0.2秒以内でフィニッシュ、と言う大接戦となった"69年モンツァ"。"'79年ディジョン"はジル・ビルヌーヴ(フェラーリ)vsルネ・アルヌー(ルノー)の激闘となった第8戦フランス戦。'87年イギリスはウィリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルvsネルソン・ピケによる芸術的なオーバー・テイク、"'92年モナコ"はモナコ・マイスター、アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)が無敵のウィリアムズ・ルノーを駆るマンセルを下した奇跡の勝利。近年ではミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)がミハエル・シューマッハーを濡れた路面で豪快にパスした"'00年スパ"等が代表的である。

-'90年フェニックス-。

.....そう呼ばれ、語り継がれているレースがある。時は'90年、舞台はアメリカ、アリゾナ州の"砂漠の中のオアシス"、フェニックス市街地コース。主役はF-1デビュー僅か9戦目の25歳のフランス人、ジャン・アレジ(ティレル・フォード)。助演男優賞は最強マクラーレン・ホンダを駆る時代のエース、アイルトン・セナ。.....このレースが伝説となった幾つかの要因を検証しながら、振り返ってみる事にしよう。

砂漠の街、フェニックスで開催された'90年F-1開幕戦、アメリカ・グランプリ。前年でエディ・チーバーがインディ・カー・レースへ転向した事でアメリカ人ドライバー不在となったF-1は、インディ500マイルに代表される高速オーバル・フォーミュラの人気の前に完全に屈していた。観客席を埋める大勢の人の姿も無く、チケット売り上げの大半は欧州からのオーディエンスによって支えられていた。前年の'89年シーズンはマクラーレン・ホンダの2年連続王座で幕を閉じたが、アラン・プロストvsセナのドライバーズ・タイトル争いは第15戦鈴鹿での接触事故による決着となり、後味の悪いシーズン・オフとなっていた。セナはこの一件でスーパー・ライセンスの剥奪の危機を迎えたが、セナを失格としたFIA会長のフランス人、ジャン・マリー・バレストルが同胞のプロストを溺愛していた事も手伝い、ヒューマン・スポーツとしてのF-1の威厳は完全に失墜していた。セナ自身もレースへのモチベーションを失い、一時は引退すら匂わせる程であった。当のプロストはカー・ナンバー1を持って成長著しいフェラーリへと移籍し、ウインター・テストで好タイムを連発していた。プロストのフェラーリ入りでゲルハルト・ベルガーがマクラーレンへと移籍し、フェラーリはプロスト+ナイジェル・マンセルのコンビとなった。堕ちた名門、ロータスは3度のワールド・チャンピオン、ネルソン・ピケがベネトンへ、チーム・メイトで'89年最終戦、雨のオーストラリアで日本人初の最速ラップを記録した中嶋悟はティレルへと移籍。前年16戦全てで予備予選落ちの不名誉な記録を作ったザクスピードの鈴木亜久里はラルースへと新天地を求めた。'90年は、それぞれが現状や忌わしい過去を振払うべく、新たなスタートを切るシーズンと期待されたのである。

開幕戦フェニックスには33台のマシンがエントリーし、予選1回目を前に予備予選が行われた。弱小・ユーロ・ブルン・ジャッドに乗るロベルト・モレノがラルース・ローラ・ランボルギーニV12のエリック・ベルナール/鈴木亜久里らを下してトップ通過。モレノと3位に入ったオゼッラ・フォードのオリビエ・グルイアールは、共にイタリアのピレリ社製のタイヤを装着していた。対するグッド・イヤー勢はグリップ不足を訴えていたが、ピレリ・タイヤはクイックな動作に上手く応えていた。予選1日目が始まり、マクラーレン初戦となったベルガーが直角ターンの多いストリート・コースにマッチするセッティングを上手く見つけ出し、暫定ポール・ポジションを獲得。2番手にミナルディのピエル・ルイジ・マルティニ、3番手スクーデリア・イタリア・ダッラーラのアンドレア・デ・チェザリス、4番手にティレルの新鋭アレジが来た。彼等3人に共通しているのは予備予選同様、ピレリ・タイヤ装着車であると言う要素であった。路面温度の上がらない曇り空のストリート・サーキットに、ピレリ勢は高いグリップを実現したのである。続いてまだセッティングの決まらないマクラーレンのセナ、ディフェンディング・チャンピオンのプロストはベネトンでの初戦となるピケの後の7位、チーム・メイトのマンセルに至ってはマシン不調で走り込めず17位。プロストの後には予備予選組のグルイアールが来た。アレジのチーム・メイト、中嶋は11番手と好調、亜久里もデビュー戦となった'88年鈴鹿以来の本予選初日をマンセルに次ぐ18番手で終えた。

.....最初の番狂わせはここで起きた。予選2日目は雨。各車ともタイム・アップはならず、予選初日のタイムが最終的なスターティング・グリッドとなったのである。マクラーレン・ホンダ/フェラーリ/ウィリアムズ・ルノーらはまだ新車の戦闘力/信頼性に対して確たるデータを持ち合わせておらず、前年の改良型で戦うベネトン/ミナルディ/ティレルら中堅チームの"信頼性"と言う強みに屈したのである。かくして、開幕前の下馬評ではダントツだったフェラーリ勢は中団に埋もれ、傷心のセナの前には4人のライバルが立ち塞がった。この時点では最強ウェポンを手にしたベルガーの勝利が濃厚であり、まさか翌日の決勝がひとりの若者によって歴史的なレースとなる事等、誰も考えもしなかったのである。

'90年アメリカ・グランプリ/スターティング・グリッド
1  ゲルハルト・ベルガー (マクラーレン・ホンダ/GY) 1'28"664
2  ピエル・ルイジ・マルティニ (ミナルディ・フォード/PI) 1'28"731
3  アンドレア・デ・チェザリス (ダッラーラ・フォード/PI) 1'29"019
4  ジャン・アレジ (ティレル・フォード/PI) 1'29"408
5  アイルトン・セナ (マクラーレン・ホンダ/GY) 1'29"431
6  ネルソン・ピケ (ベネトン・フォード/GY) 1'29"862
7  アラン・プロスト (フェラーリ/GY) 1'29"910
8  オリビエ・グルイアール (オゼッラ・フォード/PI) 1'29"947
9  ティエリー・ブーツェン (ウィリアムズ・ルノー/GY) 1'30"059
10  ステファノ・モデナ (ブラバム・ジャッド/PI) 1'30"127
11  中嶋悟 (ティレル・フォード/PI) 1'30"130
12  リカルド・パトレーゼ (ウィリアムズ・ルノー/GY) 1'30"213
13  ニコラ・ラリーニ (リジェ・フォード/PI) 1'30"424
14  パオロ・バリッラ (ミナルディ・フォード/PI) 1'31"194
15  エリック・ベルナール (ローラ・ランボルギーニ/GY) 1'31"226
16  ロベルト・モレノ (ユーロ・ブルン・ジャッド/PI) 1'31"247
17  ナイジェル・マンセル (フェラーリ/GY) 1'31"363
18  鈴木亜久里 (ローラ・ランボルギーニ/GY) 1'31"414
19  マーティン・ドネリー (ロータス・ランボルギーニ/GY) 1'31"650
20  ベルント・シュナイダー (アロウズ・フォード/GY) 1'31"892
21  ミケーレ・アルボレート (アロウズ・フォード/GY) 1'31"948
22  アレッサンドロ・ナニーニ (ベネトン・フォード/GY) 1'31"984
23  グレガー・フォイテク (ブラバム・ジャッド/PI) 1'32"398
24  デレック・ワーウィック (ロータス・ランボルギーニ/GY) 1'32"400
25  マウリシオ・グージェルミン (レイトンハウス・ジャッド/GY) 1'32"904
26  イヴァン・カペリ (レイトンハウス・ジャッド/GY) 1'33"044

-予選不通過-
27  ステファン・ヨハンソン  (オニクス・フォード/GY) 1'33"468
28  ジャンニ・モルビデッリ  (ダッラーラ・フォード/PI) 1'33"044
29  J.J・レート  (オニクス・フォード/GY) no time
30  フィリップ・アリオー  (リジェ・フォード/GY) 失格

.....3月9日、決勝。雨は上がったが、フェニックス上空は相変わらずの曇り空。予選3番手を獲得したチェザリスは前日のフリー走行で濡れた路面でスピン〜クラッシュしたが、たまたまTカーだった為にレースへの影響は無し、ロータスのドネリーはギアボックス・トラブルでグリッドに着けず。フォーメーション・ラップが始まるとピレリ勢が激しくマシンをウィービングさせ、タイヤ温度を上げようとしている。特に予選2番手のマルティニと3番手チェザリスはスターティング・グリッド手前で急加速〜減速を行い、大金星を狙う。ポール・シッターのベルガーはミラーを見ながらこの2台を警戒していた。グリーン・シグナルが点灯すると、ベルガーはイン側からレコード・ラインであるアウト側へ、フロント・ロウに並んだマルティニは反対に空いたイン側へとマシンを振った。マルティニとチェザリスの出足は予想通り素晴らしく、ベルガーはブロックの為もう一度インへとマシンを寄せる。ガラ空きになったアウト側には、ほぼ真直ぐスタートしたアレジとセナがいた。右コーナーとなる第1ターンへ向け、マルティニを抑え切ったと確信したベルガーがアプローチでアウト側へマシンを寄せた瞬間、チェザリスの後方からアレジがスルスルとイン側へ入って来た。驚いて横を見るベルガー。だが時既に遅く、アレジはブレーキング競争に勝利、ベルガーはみすみすトップの座を見慣れない若者に奪われてしまったのである。更にベルガーはハンドリングの不調に悩まされて思うようにペースが上がらず、逆に前に誰もいなくなったアレジは連続する直角ターンで自在にトラクションを得、オープニング・ラップでアレジは2位ベルガーを2.427秒引き離し、F-1グランプリで自身初のトップ・ランナーとなった。2位ベルガー、3位チェザリス、4位セナ、5位マルティニ、6位ピケ。後方ではウィリアムズのパトレーゼがオゼッラのグルイアールのインを突いたが追突してフロント・カウルを飛ばし、緊急ピット・インを強いられる。狭い公道コースならではの事故だ。ティレル移籍初戦の中嶋は11番手キープ、1年振りのレースとなった亜久里はパトレーゼとグルイアールの事故を上手く避けて16位。アレジは快調にトップを走り、'90年F-1グランプリは意外な顔触れに席巻されて始まったのである。

4周目、リジェのラリーニがスロットル・トラブルでコース・サイドにマシンを止め、このレース最初のリタイアとなる。連鎖反応の様に、6周目にはロータスのワーウィックがサスペンションを壊してリタイア。そしてこの頃、スタートからペースが上がらず、中団の8〜9位を走行していたプロストのフェラーリがマシン後方から白煙を吹き始めていた。まだスロー・ダウンと言える程の症状では無かったが、プロストは「ギアボックスの油圧が下がった」と訴え、フェラーリ・ピットのチェザーレ・フィオリオ監督との無線交信が続く。そして8周目、目を疑うような光景が飛び込んで来た。2位ベルガーがクラッチから足を滑らせ、コーナーを曲がり切れずにタイア・バリアに激突してしまうのである。これでベルガーは最後尾まで落ち、2位には4周目にチェザリスをパスしたセナが上がった。首位アレジとの差は9秒、3位チェザリスはその20秒後方でピケ/ブーツェン/プロストらトップ・チームのドライバーを必死に押さえていた。反対にマルティニはタイヤのグリップ・ダウンが予想以上に早く、既に優勝戦線から離脱してしまっていた。14周目、4位ピケが裏ストレートとなるワシントン・ストリート・エンドでチェザリスにアウトから襲い掛かる。しかしチェザリスが踏ん張り、続く第9ターンでインを奪い返した。その後もピケは左右にマシンを振ってチェザリスを揺さぶり、翌15周目に同じ場所で今度はインに入り、遂に3位の座を奪った。このバトルでチェザリスのピレリ・タイヤもさすがに限界を迎え、16周目にはプロストにもパスされてしまう。しかしプロストは相変わらず白煙を吹き続けていた。

18周目、眠っていた2位セナが1'32"178の最速ラップをマークし、アレジ追撃に着手する。アレジも負けじとペースを上げるが、ウィンター・テストでピレリ・タイヤを使ったロング・ランを行っていないティレルは徐々にペースが落ち始めていた。後方ではプロストのトラブルがいよいよ深刻化し、ブーツェン/マルティニ/モデナ/中嶋らに立て続けにパスされて行く。21周目、プロストはピット・インしてそのままマシンを降りてしまった。25周目にはここまでレースを盛り上げて来たチェザリスもエンジン・トラブルでリタイア。開幕戦は徐々にサバイバル戦の様相を呈して来た。レース距離の1/3を終えた27周目、ピケがピットへ入ってタイヤ交換。ここでセナは一気にペースを上げ、アレジの背後に迫る。不運にもアレジはバック・マーカーにも捕まり、思うように走れない。それもその筈、バック・マーカー達が追い越し合図のブルー・フラッグを確認してバック・ミラーを見ても、見なれない白とブルーのマシンの後にマールボロ・カラーのマクラーレン・ホンダがいるわけで、例え新人アレジがトップ・ランナーだと解っていたとしてもそう易々と抜かせてはくれない。セナはアレジの後方1.5秒差まで詰め寄って来た。同じ頃、マルティニ/モデナ/中嶋のピレリ勢3人とフェラーリのマンセルによる5位争いも白熱していた。30周目にモデナがマルティニをパス、31周目にはマンセルが中嶋を抜いて7位へ。マルティニはタイヤ交換の為ピット・インし、11番手まで後退してしまった。

32周目、アレジとセナは完全なテール・トゥ・ノーズとなった。ジェファーソン・ストリート/ワシントン・ストリートの両ストレート・エンドで、セナは度々アレジのインを伺う。しかしアレジは動じない。それどころか、コーナーでブレーキングの度に跳ねるマシンを見事なまでに操り、セナに付け入る隙を与えない。セナは明らかに考え方を変えた。揺さぶりでは無く、真っ向勝負で決める。33周目、ジェファーソン・ストリートでセナはピタリとアレジのスリップ・ストリームに入った。逃げるアレジ、逃がさないセナ。ブレーキングでアレジがアウト側のレーシング・ラインに戻った時、セナはズバッとインに入り、そしてオーバー・テイクしていた。が、アレジがアウト側へマシンを振ったのには別に理由があった。セナを、抜き返す為である。

複合で直角ターンの連続するフェニックス。右の第1ターンでインを明け渡したアレジは、次の第2ターンに向けてアウトへマシンを振ったセナのインに、驚異的な加速で飛び込んで行った。既にステアリングを左に切っていたセナは一瞬たじろぎ、その手を戻した。しかしアレジは完全にラインを支配していた。つまり、セナが避けなければ接触するような強引なラインでは無く、キチンとマシン1台分の猶予を残し、そしてセナの前へ再び出たのである。次の第3ターンに入った時、両者は何事も無かったかのように、またアレジ-セナの隊列に戻っていたのである。

.....信じられないような光景であった。セナにミスがあったわけでは無い。"油断していた"と言う程の事でも無い。本来やれる筈の無い事を、アレジがやって見せた。ただ、それだけである。それもフォード・コスワースDF-R/V8搭載のマシンで、だ。そして抜き返されたセナは感心していた。ほんの数カ月前、彼はプロストとのタイトル争いをお互いにラインを譲らない強引なやり方で失っていた。しかし、この若者は極めてフェアなやり方で挑んで来た。セナの中で、この数カ月のわだかまりやモチベーションの低下が完全に払拭されたのは、この瞬間かも知れない。セナはこの若者のチャレンジを、受けて立つ事にした。34周目、同じジェファーソン・ストリートでアレジは前方の周回遅れのフォイテクのスリップ・ストリームに入った。セナも、その真後ろに入る。レーシング・ラインを走るフォイテクのインにアレジが飛び込む。が、セナがその更にインへとマシンを振る。3台並んだブレーキング競争。第1ターン、セナが前へ。アレジは前周と同じように外からセナのインへと飛び込んで来る。が、セナが今度はギリギリマシン1台分あるか無いか、の隙間を残して第2ターンでインを締めた。アレジは一旦外へマシンを振り、クロス・ラインで今度は第3ターンでセナのインへ。またも2台が並んだ。並んだまま第4ターン。完全なるホイール・トゥ・ホイールである。第4ターンを抜けた時、セナはトップを奪った。だが第5ターンで、またもアレジがインへ飛び込んで来た。が、王者セナは既にアレジを"後方の"マシンとし、2度と隙を与える事は無かった。ワシントン・ストリートで、セナは捨てバイザーを1枚剥がした。それは、トップ争いの終焉を意味していた。

ジェファーソン・ストリートでのブレーキング競争から第4ターンまで、僅か15秒の出来事である。しかし、その15秒の攻防は、前年に見た如何なるバトルよりも手に汗握るフェアなバトルだった。悩める王者がレースに新たなモチベーションを見つけ、ひとりの若者がトップ・ドライバーの仲間入りを果たし、そして観る者全てを興奮させた攻防だったのである。

39周目、フォイテクのブラバムがグルイアールと接触し、フロント部を壊してスピン。44周目に最後尾まで落ちていたベルガーがクラッチを壊し離脱、49周目にはマンセルがエンジン・ブロウで自らの吹いたオイルに乗りスピンしてリタイア。そして53周目に7位まで上がって来ていた亜久里がブレーキ・トラブルでコース・サイドにストップ。このあたりでレースはようやく落ち着き、72周レースの残り20周、上位6台のマシンはフィニッシュ・ラインへ向けてシーズン初レースと言う信頼性と戦った。セナは手を振りながら最終コーナーを抜け、嬉しい開幕戦優勝。2位は8秒差で今日の主役、アレジ。3位はピケのピット・インで前へ出て淡々と走ったウィリアムズのブーツェン、4位がピケ、5位にブラバムのモデナ、6位ティレルの中嶋。中嶋は'89年最終戦オーストラリアから2戦連続の市街地コース入賞。そして、トップ6の内セナ/ブーツェン/ピケ以外の3人がピレリ・ユーザーであった事が、このレースの意味を雄弁に物語っていた。パルクフェルメでセナとアレジはガッチリと握手を交わし、表彰台でもアレジはセナのシャンパンの洗礼を浴びた。F-1は、新たなヒーローの誕生を迎え入れたのである。

'90年アメリカ・グランプリ/決勝結果
1 アイルトン・セナ (マクラーレン・ホンダ/GY) 72周
2 ジャン・アレジ (ティレル・フォード/PI) 72周
3 ティエリー・ブーツェン (ウィリアムズ・ルノー/GY) 72周
4 ネルソン・ピケ (ベネトン・フォード/GY) 72周
5 ステファノ・モデナ (ブラバム・ジャッド/PI) 72周
6 中嶋悟 (ティレル・フォード/PI) 71周
7 ピエル・ルイジ・マルティニ (ミナルディ・フォード/PI) 71周
8 エリック・ベルナール (ローラ・ランボルギーニ/GY) 71周
9 リカルド・パトレーゼ (ウィリアムズ・ルノー/GY) 71周
10 ミケーレ・アルボレート (アロウズ・フォード/GY) 70周
11 アレッサンドロ・ナニーニ (ベネトン・フォード/GY) 70周
12 ベルント・シュナイダー (アロウズ・フォード/GY) 70周
13 ロベルト・モレノ (ユーロ・ブルン・ジャッド/PI) 67周
14 マウリシオ・グージェルミン (レイトンハウス・ジャッド/GY) 66周
最速ラップ ゲルハルト・ベルガー (マクラーレン・ホンダ/GY) 1'31"050 (34周目)

.....さて、"'90年フェニックス"の検証に移ろう。このレースが歴史に残る名勝負となった最も大きな要因は、間違い無くジャン・アレジの活躍である。アレジは前年の第7戦フランス・グランプリでデビューしたばかりの新人。それも、明らかな下位チームであるティレルからの参戦である。彼はマクラーレン・ホンダやフェラーリに比べ、凡そ60馬力は劣るであろうコスワースDF-R/V8エンジンで、スタートから33周に渡って堂々トップを走り、しかもホンダV10を搭載するセナと互角に渡り合い、一度は抜き返すと言う"離れワザ"をやってのけたのである。決して前方のトップ・チームのマシンがリタイアして順位を上げたのでは無く、自ら予選4番手からロケット・スタートを決め、1周目のベルガーを含め、このレースで2度もマクラーレン・ホンダをオーバー・テイクしているのである。彼のマシン、ティレル018は前年モデルであり、第3戦サンマリノから投入される019はその後のF-1スタンダードとなるハイノーズを持つマシンとなったが、既に開発は終了しており、チームもデビュー間近の019に心血を注いでいる最中に旧車で魅せた、信じられないような快走だったのである。

次に、ピレリ・タイヤの瞬発力である。実はこの年、フェニックス同様曇り空の元、路面温度の上がらなかった第4戦モナコでもアレジは予選3番手からまたもセナに続く2位フィニッシュを達成している。予選トップ10にはマルティニとスクーデリア・イタリアのエマヌエーレ・ピッロもおり、ピレリ・タイヤはグッド・イヤーに比べ明らかに前述の条件で戦闘力を発揮していた。何しろ、万年テール・エンダーのミナルディ(マルティニ)が予選フロント・ロウを獲得しているのである。しかし、この2戦以外のピレリ勢の成績は散々で、'90年のアレジの表彰台フィニッシュも結局この2戦だけ、シーズンを通しての入賞はアレジ/中嶋が3回ずつ、ブラバムのモデナがフェニックスでの5位1回だけで、ドライ/クローズド・サーキット/高速コーナー等ではグッド・イヤーに全く歯が立たなかったのである。仮にフェニックス/モナコが晴天で路面温度が高くなっていれば、アレジの活躍は見られなかったかも知れない。結局ピレリは翌年で撤退してしまうが、6年後の'97年にブリヂストンがやはり中堅チームのみへの供給でF-1参戦して大活躍を見せるまで、F-1はグッド・イヤーのワン・メイク時代が続くのである。

そして、レギュレーション的には'90年と言う"時代"が挙げられる。FISAは'88年いっぱいでターボ・エンジンを禁止し、'89年シーズンから全車自然吸気エンジン使用を義務付けた。これは、コスト削減/安全性確保に加え、'88年のマクラーレン・ホンダ16戦15勝に代表されるような"ひとり勝ち"を阻む理由も存在した。中堅/新興チームがコスワースやジャッド等の安価なV8エンジンを購入して参戦しても、マシン・デザイナーの知恵と優秀なドライバーの活躍で上位を争えるチャンスをレギュレーションで与えたのである。しかしそれも潤沢な資金を持つトップ・メーカーによって'91年には終焉を迎えてしまう。'90年は、その最後のチャンスだった、と言う事が出来る。アレジとピレリ・タイヤを擁するティレルは、中堅チームとは言えレースの戦い方を心得た名門チームである。彼等がホンダV10/フェラーリV12にコスワースV8で対向する為の要素は、'90年シーズンに限っては揃っていた、と言える。

また、当時のF-1のイメージ、も問題であった。御存じの通り、'89年シーズンはスポーツ・マン・シップとは程遠いイメージで幕を閉じた。ファンは明らかに鈴鹿での接触〜失格事件に対して懐疑的になっており、クリーンでフェアなバトルが必要とされていた。当事者のセナでさえ、一時は引退を口にした程である。そう言う意味でも、接触無しの素晴らしいバトルが観られた開幕戦フェニックスは、前年のダークなイメージを払拭するのに充分な魅力を備えたレースだった。そして、セナ/プロスト/ピケ/マンセル時代が過度期を迎えた頃、彗星の様に現れた新鋭ジャン・アレジはその後のF-1を背負って立つ次代のチャンピオン候補として翌年フェラーリに抜擢され、一躍スターダムへと昇り詰めたのである。だがアレジは'01年にF-1を引退するまで、僅かキャリア1勝で終わった。条件が揃わなかった、と言えばそれまでだが、'90年フェニックスで魅せた決して才能はフロックでは無かった筈だ。少なくとも、'91年に後に7度のワールド・チャンピオンとなる、ミハエル・シューマッハーがデビューしていなければ彼の勝利数は違ったものになっていただろう。

.....ところで、なんで筆者が今頃実録・'90年フェニックスを書く気になったのか、と言うと、最近引っ越しをしたのである。そしたら、行方不明になっていた'90年フェニックスのビデオが出て来たのである。数年振りに観たところ、どうにも書かずにいられなかった、ただそれだけである(.....)。



「楽しかったね!」
-'90年、フェニックスのレース後、アレジに対して/アイルトン・セナ-


■"no race, no life" top